人生の第三コーナーの衣食住

ライフスタイルブログ:インテリア、家のメンテ、ソーイング、失敗続きのパン作りなどをつづっていきます

「ひきこもりの日記」――自称「おひとりさま」で売文する人から得るもの

前回のブログで言及した、ベルギーに生まれ、米国に亡命した作家、詩人のメイ・サートンMay Sartonの「独り居の日記」Journal of Solitudeをざっと読んだ。1960年代後半、同性愛者であるとカミングアウトして大学の職を追われたという。

 

ネットで上野千鶴子さんが推薦していた本だ。その後まもなく、上野さんが八ヶ岳の方で、男性と入籍して一緒に住んでいた、「おひとりさま」で売ってきたくせになんだ、詐欺だ!と文春あたりが糾弾する記事が出た。

結構年の離れた男性ですでに物故者、上野さんが介護していたとか。ええやんか。70年以上生きて、一時期男性との同居時代があったからといって裏切り?まあ、入籍と言う行為は法的にひとりであることから遠ざかることだが、人生の大半はおひとりさまだったのだ。

「老後のひとり生活」を売文のテーマにしている下重暁子は、籍をいれているのかどうか知らないが男性の同居人がいると書いている。

 

「おひとりさま」の定義次第と思う。

家族と同居していても、全く関心を持ってもらえない存在なら独居とどう違うのだろう。

折しも昨日3月6日の「相棒」では、家族のいない独居貧困老人が、喘息で普通の学校生活を送れない資産家家庭の女の子にひょんなことから慕われることになる話が出てくる。「あんなじいさん、いなくなったって誰も悲しまない、どうせ孤独死でしょ」と自身の行為を正当化する殺した女性に、杉下右京が、老人がいなくなって(殺されて)非常に悲しむ人(女の子)がいることを静かに伝える。あまたある「相棒」のテーマでも、こういう社会の片隅で生きる人を扱うシリーズが好きだ。

 

上野さんも下重さんも社会的地位もあり、マスコミで売れている人だ。編集者は日参し、会合にも呼ばれ、審査員や委員を歴任し、色々な出会いがあり、その中で入籍したり同居したりする相手も現れるのだろう。カリタス小学校のスクールバスを襲った中年引きこもり男性や、犯行時の交友関係がほとんど報道されない山上徹也のような絶対的孤独にはなりえない人たちなのだ。彼女たち(特に上野さん)が自称「おひとりさま」として色々な問題提起することから知識を吸収するにとどめればいい。

 

長男の嫁が当然のように無給で夫の両親を介護していたのが、社会全体で介護の費用や労力を負担しようという介護保険制度ができたことや、専業主婦は年金未納なのに、加給、加算年金を支給されることを知る。終活、高齢者施設等についての情報提供も参考にすればよい。間違っても、あの人も「おひとりさま」だから自分と同じように淋しい思いをしている、有り余る時間をつぶすのに苦労している、はずだったのに同居者がいたなんて、入籍していたなんて、裏切られた、と失望しないことだ。

 

上野さんが林真理子と対談するネット記事で、自身を「政治的」な動きをしてきた、と言う趣旨の発言をしている。学術的に確立した分野なのかようわからん「女性学」なんて、競争相手もそれほど多くない。男性の学者があえて参入しない分野だ。そういう与しやすい土俵を選ぶこと自体、政治的センスがある。成り手がいない地方議会議員から出発するとか、(そう簡単ではないが)国政でも対立候補の少ない選挙区から立候補するとか。地方の無名女子大の教官から東大教授にまで上り詰めた人だ。間違いなく「政治力」がある。大学で自分が担当する講座を持つには予算の裏づけが必要なのだ。

 

上野さんの「おひとりさま」シリーズの本は一冊もまともに読まず、ネットに紹介された本の一部をつまみ食いしているだけ。メイ・サートンなんて全く知らなかったが、圧倒的な読書量、知識量のある上野さんが勧める本としてざっと目を通した。これが、私なりの上野千鶴子の利用法だ。

2023年3月7日記