進次郎はクリステルの傀儡政権になる?
小泉進次郎議員が自民党総裁選に立候補すると表明。自民党総裁は事実上の日本国内閣総理大臣。
進次郎氏は環境大臣時代にスーパー等のレジ袋を廃止。今回の出馬表明で選択的夫婦別姓を早期に可能にすると発言。いずれも妻の滝川クリステルが関心を持っている案件。総理になったら、妻の関心事項の動物愛護を政策課題にするのだろうか?
出馬表明では「ライドシェア」の早期解禁も掲げている。私はレジ袋も選択的夫婦別姓、ライドシェア、そして動物虐待防止のいずれも賛成だ。各論が不明ではあるが。
クリステルの関心事項がたまたま進次郎の関心事項に合致し、政策アジェンダに掲げるようになったのならまあ、仕方がない。夫婦は価値観とともにしないとやっていけない。
が、過去、洋の東西を問わず、政策や人事で、配偶者の意向に傾いた男性権力者は枚挙の暇もない。
レーガン米大統領、アラファトPLO議長、守谷防衛省事務次官、日大総長、野球の野村監督等。
安倍元総理も付け加えなければ。能天気な安倍明恵の気まぐれで、森友学園がらみの行動は国政に混乱を招いたが、首相の配偶者は「私人」と閣議決定された。「私人」クリステルはどんな江青(毛沢東夫人)になるのか?
父親の小泉純一郎は、離婚後、首相時代も含めずっと独身。影響力のあった身近な女性は実の姉だと噂されていた。が、服装や身の回りのことへの助言中心で、政策決定ではないようだ。
郵政民営化はもちろん純一郎氏の信念。ハンセン病患者との訴訟で国が負けた裁判で、控訴しない(=原告の患者の立場にたった判決を受け入れる)という決断は小泉首相が決めた。竹中平蔵大臣(経済政策)や有名な飯島秘書官とも相談したかもしれないが、この方たちは公的な肩書、役職のある者である。問題があれば大臣も、秘書官も公的な責任をとる。公的権限のない奥さんの無責任なささやきで、国家が振り回されるわけではない。
しっかりしてや、進次郎。
(2024年9月7日記)
自民党総裁選と選択的夫婦別姓
NHK朝ドラは女性初の法律家の話。
数日前から連日夫婦別姓と同性愛がテーマで、トランスジェンダー女性が登場し、朝から深刻である。
アメリカの大統領選挙では課題イシューが三つ。経済、移民、人工妊娠中絶だそう。
自民党の総裁選では、「選択的」夫婦別姓が3つに限定した主たるイシューではないようだが、一番乗りの小林鷹之候補にはテレビインタビューで夫婦別姓についての質問もあったようだ。この方は49歳。配偶者は東大出身の職業婦人とのことで、婚姻に伴い姓を変えることに不便を覚える体験をしたはずだが、小林候補の回答は、選択的夫婦別姓を可能にする制度を整えるほどニーズは高くない、と言ったらしい。経団連会長が企業の女性管理職が活躍するためにも選択的夫婦別姓は必要と明言しているのである。経団連に所属する企業は日本の国富を生み出す主要企業群。この企業群の代表が必要=ニーズがある、と言っているのに。
自民党の長老の目を気にしているのか、自分を引き上げてくれた安倍元首相の保守思想を骨の髄まで共有しているのか。ちっとも若手候補ではない。
これは更に若い小泉進次郎氏も同じ。配偶者の本名は、「滝川」ではなく小泉まさみなのだろう。「クリステル」が、本名の姓名の中でとう扱われているのか知らない。苗字は小泉で、夫の姓に変えたかどうかがポイント。
自民党の岩盤支持層が嫌がる話題を取り上げる朝ドラを好ましく思わない候補もいるだろう。立候補に意欲を示しているという高市早苗元総務大臣など、NHKだか民放だかの番組の内容に総務大臣の権限で介入したこともあった。既婚のこの岩盤保守女性政治家の本名は「高市」なのかそれとも夫の姓なのか?誤魔化すな!
夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定が憲法に反するかどうかが争われた家事審判の決定について、最高裁大法廷の多数意見は「合憲」(2021年6月23日)。15人の裁判官のうち11人が違憲ではない=合憲だと判断したが、そのうちの一人の裁判官は外務省出身。こういう考えの方がメインストリームを歩く組織で働いてきたのかと思うと、ため息も出る。
まあ、二次試験の面接での当時の人事課長の質問(海外勤務もあるのに結婚したらどうする?貴女の言う「結婚」とは同棲で、事実婚ということですね。)は、今なら完全アウト、レッドカードものだろう。スカートではなくスラックスで出勤したら怒られた。。。
もちろん今は女性に対する言動は当時より少しましになったが、選択的夫婦別姓を認めるか否かは、政治家の根っこにある思想の試金石。すべての総裁選候補者の意見を知りたい。
(2024年8月22日記)
仏紙はアラン・ドロンの白人優越思想を再掲
以前のブログで、パリ在住の際にみたアラン・ドロンのテレビインタビューについて書いた。
「自分が日本で人気があるのは、皮膚の色の問題だ」
これは彼の発言
"C'est une question de peau."
の直訳で、意訳すれば「日本人は白人が好きだから」とてもなりそうだ。
このインタビューの直後、私は放映したA2(当時はアンテヌ2)に抗議文を送った。
「日本人がドロンが好きなのは、ドロン個人が美男だからであって、白人であるからではない。日本人が、白人全体が日本人より優位にあると考えていると断言するドロンの発言は看過できない。」
実際、極少数のきれいな白人もいれば、そうでない多数の白人がいる。その一方、日本人であれ、韓流であれ(整形かもしれないが)、アフリカ系であれ、たぐいまれな美形もいる。白人全体が他の人種より美しい、優れている、と断じることが人種差別なのである。
ドロンの死後、仏パリマッチ紙*は往年の日本でのドロン人気を報じていることを産経新聞が掲載している。
外部リンクはいずれ削除される可能性があるので、一部コピペで引用しておく。
(引用始め)
日本での人気については、ドロンさんは生前のインタビューで「私は日本で生き神のようだった」と語っていた。写真誌パリマッチ(電子版)は、「ドロンは日本では今も神なのか」と題した記事で、「ドロン神話」に迫った。
同誌は東京・神保町の古書店に並んだ映画雑誌の写真とともに、ドロンさんのファンは60歳以上に高齢化していると伝えた。映画はテレビの回顧特集で放映される程度で、「いまの日本の若者はKポップ歌手を夢見ており、母親や祖母たちを陶酔させたフランス人のことを知らない」「時代は変わり、神も変わった」と報じた。
フィガロ紙は、ドロンさんが1996年にテレビ番組で語った日本人観を伝えた。ドロンさんは司会者に日本での人気について尋ねられ、「30年間にわたる愛情の歴史がある。日本人は私を一体化していた」と回答。「日本人は肌の色や人種に小さな劣等感を抱いており、白人にあこがれている。もし白人になれたら、アラン・ドロンになりたいと思っている」とも述べていた。
(引用終)
なるほど、私は1994年から97年までパリ駐在だったので、観たインタビューは1996年のことだったのだろう。記事にあるドロンの発言は上記の「肌の色の問題だ。日本人は白人に憧れている」の部分以外は、私の記憶とは異なる。
28年も前のインタビューを何の躊躇もなく再掲することは、パリマッチ誌も白人優位思想、差別意識を踏襲しているということだ。
*芸能ニュース中心の週刊誌
敗戦―ドロンー地中海―モンテカルロー裏日本ー田中角栄ー自民党政権
8月18日、フランスの俳優アラン・ドロンが逝った。88歳。天下の美男子ゆえに晩年の容貌の劣化は残酷なほど。
「太陽がいっぱい」は1960年の映画。
地中海の豪華なヨット、大富豪。その頃の大阪の私の家では冬はこたつ、夏はもちろんエアコンなどない。訃報に接して、映画で流れるニーノ・ロータの切ない旋律の曲をピアノで弾く*と、ドロン演じる貧しい殺人青年につい感情移入してしまう。映画は捕まる直前で終わる。逃げられるわけもないし、手助けのしようもないのだが。
ドロンの美貌が観客の同情を呼ぶことをルネ・クレマン監督は承知の上での起用だったのだろう。
今年の年末に「オペラ界のアラン・ドロン」と呼ばれたこともあった、イタリア人テノール、ヴィットリオ・グリゴーロ**の公演を観に、モンテカルロに行く。地中海に面した豪華なヨットが並ぶグレース・ケリーで有名なモナコ公国。歌劇場はカジノと同じ施設内にあるようだ。
ドロンのニュース前の8月15日前後、原爆投下、敗戦から79年、を報じるテレビニュースやドキュメンタリーが流れていた。当時の日本にも今の北朝鮮のように衣食住に困ることもない階層の人はいたのだろうが、私は大阪のサラリーマンの娘。高齢になって、オペラ歌手の追っかけでモンテカルロにまでいくことができるのは、田中角栄ら自民党政権下での高度成長と自分の努力と運のお陰だろう。
自民党総裁選のニュースが流れている。「裏日本」に生まれても、雪深い地方に生まれても都会と同じ機会を、と突っ走った政治家がいた。酒井順子さんの「裏が幸せ。」というエッセイ集を読み、田中角栄の国全体、国民全体の貧しさからの飛翔を目指した政治家の情熱、ルサンチマンに共感した。
敗戦―ドロンー地中海―豊かさーモンテカルロー裏日本ー自民党政権、と想いが連鎖していく。国民に機会均等を、個々人が与えられた機会を十分活用できる環境、制度を整えるのが政治家の役割。家業を継ぐことではない。
(8月20日記)
*ピアノは30歳を過ぎてから始めた。こどもの「習い事格差」は昔からあった。
**グリゴーロを知ったのは2023年9月のローマ歌劇場横浜公演。
オペラにはまった―ヴィットリオ・グリゴーロ、セクハラ事件からの復活
ひとつめは17日のトスカ、翌18日はラ・トラビアータ。いずれも有名な演目だが、一度も観たことはない。
オペラにはそんなに興味がなかった。教養のためと、いくつか観たことはあるが、外国語の歌を字幕で意味を追ってもあまり感動しないし、話は大体古臭い。障害に阻まれる純愛はいつの時代にもあるけど、古典オペラの舞台では身分制度が基本にあり、「フィガロの結婚」なんて領主の初夜権なんて出てくる。
今年の初めにウクライナ歌劇場の「カルメン」を観に行ったが、これはウクライナの芸術家への応援。
ローマ歌劇場の日本公演はテレビ東京でやたらと宣伝しており、ミラノスカラ座ではないが、オペラ発祥の地イタリアだからローマも凄いんだろう、演目も有名だから観ておこうか、くらいの気持ちだった。安い席は早々に売れていて、それなりの大枚をはたくことになった。同じ劇場である必要もないと、トスカは神奈川県民ホール、トラビアータは東京文化会館にした。
手が痛くなるから拍手はしないと決めていたのだが
初めて入場した神奈川県民ホールは山下公園に面した、港の見える気持ちの良い劇場だった。相変わらず30度越えの真夏日で、15時開演までに少し元町商店街をウロウロしたのでちょっと疲れていた。あらすじは予習してきたが、初めて観る演目のどこで拍手をしたらいいのかわからないし、手を叩くのは痛いので他の観客にまかせようと決めていた。
トスカの第一幕のテノールのアリア「妙なる調和」。ヴィットリオ・グリゴーロなんて、犬のゴロスリみたいな名前の歌手にのっけから圧倒された。われを忘れて手を叩いていた。男性オペラ歌手で知っている名前はひと昔前の三大テノールくらいだった。
翌日のトラビアータの方が、有名な「乾杯の歌」の合唱もあり、バレエも加わる絢爛豪華な舞台だが、主役の青年貴族アルフレードのテノールが初日のテノールの人だったら良かったのに、とつい思ってしまった。
若い頃は超絶イケメンだったグリゴーロ
連休明けはずっとグリゴーロの検索三昧。歌声に圧倒されたのだ。まあまあいい席だったが、私の安物の携帯オペラグラスでは歌手の顔を鮮明な大写しでみることはできない。PCで画像をざっと見ると、これがなんと往年のマストロヤンニ風のいいオヤジ、イケオジである。
Before
オペラ歌手としてデビューしながらもポップスを謳っていた若い頃は、ほっそりとして、少しこけた頬やシャープなアゴの線が魅力的な超イケメンだった。白黒文芸映画の「パルムの僧院」のファブリス・デル・ドンゴや「赤と黒」のジュリアン・ソレルを演じたフランスの美男俳優ジェラール・フィリップを彷彿とさせる。笑い顔は日本の瀬戸康史風で可愛い。横顔はオダギリ・ジョー風か。この顔で、タイタニックのMy Heart will go on や、イタリア語でささやくようなCosiという歌を歌うのである。

After
30代からポップスは封印してオペラ歌手に専念したようだが、皆が苦しんだコロナの2-3年間は、オペラ歌手にとっては特に災難だったのだろう。公演がないと一度に大量のカロリーは消耗しないし、次の公演の当てのない練習も普段よりゆるめだったのかも知れない。すっかり太って二重アゴ。ひげ面で、かつての白皙の美青年も、こんなになるのだ。金正恩のようにスーツの肩が盛り上がり、後ろからみた首に二重線が入りそう。

日本公演中のセクハラ疑惑
コロナ勃発前の2019年9月、英国のロイヤルオペラハウス(ROH)の日本公演の際、セクハラ行為を指摘され、降板。その後のNYメトロポリタン歌劇場(MET)での予定も下ろされたそうだ。
当時のニュースによると、「ファウスト」のカーテンコールの際、妊婦役の女性の詰め物で膨らんだ腹部を撫でまわしたという咎である。ジャニー喜多川のような夜這いではなく、公開の場であるが、女性が嫌だとはっきり言っていたそうだ。調査に入る前の容疑の段階で即降板、を決定する英国、米国というアングロサクソンの容赦なさは目をみはる。#MeToo運動も盛り上がっていた時期であったことも影響したのかもしれない。
このzero toleranceゼロ・トレランス,、一切の寛容は許さない感覚では70年近く続いたジャニーの性加害を隠蔽していた日本はいかにも生ぬるい、となる。
公演を観た日本のどなたかが、「グリゴーロの行為には特に違和感はなかった」という趣旨のコメントをツイッターか何かで公開し、「事件」の4日後、既に公演先の日本から「追放」*されたグリゴーロは、インスタグラムで「日本の方々の支援に感謝します」という趣旨のメッセージを公開している。
*日本の公権力による国外追放ではなく、公演主催者のROHが、降板でもう日本に いる必要はないと帰国させたようだ。
降板の連続後、ようやく復活
その後の調査結果でグリゴーロの行為は基準を下回る、inappropriateと判断された。続く別の地での公演も次々と降板させられたようだ。
翌年の2020年夏にはロシアでの野外音楽フェスに出席して美声を響かせていたが、英米のメディアは「追放されたグリゴーロ、ロシアにヘルプを求める」と皮肉っていた。コロナに加えて干されていた時期だから、余計太ったのかもしれない。
ほとぼりが冷めたのか、グリゴーロもこの事件から復活した。今年初めのサントリーホールでソロコンサートより前、まだ日本入国後14日間の行動制限のあった時期にもソロコンサートのため来日していた。「たとえ14日間動けなくても、日本に来たかった」とのこと。セクハラ男のレッテルを貼られた辛い時に、日本人のツイッターに慰められたのかも知れない。
が、主役なら何をやってもいい、ということではない
にわかオペラファンでも主役のテノールはソプラノと並びオペラの華そのものだということくらいはわかる。カーテンコールでは悠然と最後に登場する。観客の拍手はいや増して大きくなり、ブラボーの連発。時にはスタンディングオベーション。女王様気分、王様気分になるのは容易に想像できる。歌舞伎にカーテンコールはないが、今年自殺未遂(?)をした市川猿之助は、殿様気分でやりたい放題だったという報道が出た。オペラなら領主様気分か?
サービス精神旺盛なグリゴーロだけど
それで思い出したのは、神奈川県民ホールでのトスカのカーテンコールのシーン。グリゴーロはおちゃらけサービス精神満載だった。共演者や、指揮者はじめオーケストラメンバーへの拍手を、観客に対しひとりで懸命に求めていた。拷問で血だらけになった衣装のまま、コメディアンのようにおどけながら、オペラを支える全ての人への賞賛を求めるコントラストも鮮烈。観客が一斉に退出するタイミングを避けて早めに退場したが、その歌声で雷に打たれたようになった上に、ずいぶん愛想のよい主役テノールだったなあ、という強烈な好印象を抱いて家路を急いだ。
相手が嫌だと思えば「不同意」「強制」
2019年のファウスト日本公演でのカーテンコールでも同じノリだったのだろう。が、男性に同意なく気安く触られるのを歓迎する女性はいない。若い女性ならなおさら、若くなくてもいやなものは嫌だ。端役の若手でも、たとえ相手が大スターであっても、「詰め物部分」であっても、公衆の面前で撫でまわされたくはないだろう。
グリゴーロも自分はもはや、ジルダのような若い女性を含めたすべての女性を魅了するマントヴァ公爵ではなく、40半ばの小太り中年男になったということを自覚しないと。
世界を舞台に歌い続けて欲しいから、日本にもまた来て欲しいから、女性になれなれしくする場合は、相手を選んで慎重になって欲しい。
学習しない大御所男性が多すぎる
グリゴーロが糾弾されたのと同じ頃、80近くになってプラシド・ドミンゴが、複数の女性にセクハラで告発され、謝罪に追い込まれた。ドミンゴと同じ出身地スペインのサッカー連盟会長は、今年の女子サッカーで優勝したスペイン代表選手に無理やりキスをしてすったもんだの末、会長辞任。つい先日のこと。日本でも女子選手の金メダルを噛んだ名古屋市長もいた。
皆、高い地位にいる男性だがホント学習しないねえ。
減量もお願いします
日本公演で、是非あの歌声を聞かせて欲しいので、セクハラで降板、追放、なんて繰り返さないで欲しい。それから、贅肉を減らすこともお願いしたい。ご本人も王子様や貴公子の役をやり続けたい、とインタビューで言っている。私が観た今年9月のグリゴーロは、2020年頃より体重は落ちていたようだが、若いロミオ役もアルフレード役も無理がありそうで、あまり見たくはない。
5月に歌舞伎座で、78歳の片岡仁左衛門の「いがみの権太」を間近で観た。もともとほっそりしているし、歌舞伎の厚化粧で若作りしていたが、首筋のシワや裾をまくった時に見える脛の老人臭さは隠しようがない。
美声同様、容姿も本人の鍛錬でいくつになっても相当維持できるはずだが、元の美形に近い姿のグリゴーロを生で楽しめるのもあと数年か。劇場は階段ばかりでバリアフリーとは程遠い。観る側の自分も足腰が弱くなっていく。楽しめる時におおいに楽しもう。
グリゴロさん、素敵な歌をありがとう!
(2023年10月6日記)
ホテルの評価を考える――ホテル業界の方に読んでもらいたい、潔癖症のつぶやき
ヤフーでは、私の関心を反映してか首都圏近郊ベストホテルとか、京都で評価の高い旅館、とか流れてくる。クリックして全文を読もうとするから、次からもホテル旅館関連の情報が向こうからやってくる。
国内外の色々な宿泊施設に泊まった。大衆的なところはもちろん、それなりに高級宿も。
とは言ってもが、せいぜいひとり1泊二食付き10万円ちょっと。後述の強羅花壇、修善寺あさばである。昨今話題の一泊100万円のブルガリホテルとか、仁和寺貸し切りなんて、多分今後も泊ることはないだろう。
JR西日本の寝台列車瑞風は2泊3日のコースだと、一泊40万円くらいだが、観光も朝昼晩の食事も移動もコミコミの値段。部屋だけではない。
結論は、
- 広すぎる(従って高額の)客室は居心地がよくない、
- 美味しい料理も配膳のタイミングやお茶の温度により満足度が下がる、
- 潔癖症の者にとり、温泉大浴場の共用足ふきマットは不潔に感じる、
等々と自分のこだわりを追求していると、泊まるより、日帰りで、自然豊かな場所にあるプロが丁寧に調理した上質な料理を食べに行くのが正解、ということに気づいた。
それでもなお遠出して泊まるには相応の理由が必要だ。
宿泊施設の評価基準は個人の嗜好で大きく異なる。私はウルサイ。
- ロビーの雰囲気(バスに乗ってくる団体客を迎える大型ホテルのカラフルな、臭いが染みついたカーペットは苦手。クラブツーリズムや大人の休日倶楽部が「厳選」したというちょっと贅沢な宿でも、この類。そらそやろ、団体旅行に参加しているのだから)
- 煙草の臭い、ゲーム機器、ガチャの販売機、カラオケ設備。いずれもOUT。
- 客室の広さ(不必要に広いと、かえって居心地が悪い)
- 料理(東京、京都、大阪なら、街中に豊かな食材を使ったレベルの高い料理店がある。なぜ、遠出する必要があるのか?カニやノドグロ、クエも東京に運ばれてくる時代に。)
- アメニティ(使い捨ての歯ブラシはどんな高級なものでも、いつもの歯ブラシの使い心地には及ばない。自宅ならパナソニックのジェットウオッシャーがあり、食後のお口スッキリ。シャンプー等は宿のものが気に入って、その後自宅でもずっと使うものがある。松山油脂Leaf&Botanicsのディスペンサーのデザインもラベンダーの香りも長野安曇野の旅館「なごみ野」で発見)
- 温泉の質(わからん。厳選かけ流し、と言われたって効能は不明。街中の温泉施設でも、地方の温泉湯を運んできている(?)と謳うものもある)
- エステ、マッサージ(客からみての一見さんの技術より、近所のいつもの人の方が上手なことが多い。ホテルや温泉宿ではまずアカスリサービスはない。それに、せっかく旅先で肩こりをほぐしてもらっても、帰りの車や電車で数時間座るとまた凝る。近場に限る。)
- 立地(東京では雪国の露天風呂の雰囲気はまず望めないから、これは遠出する価値がある。たまに雪が降った日に東京近郊の日帰り温泉までノーマルタイヤで運転したり、公共交通機関で出かけたりすると、事故に巻き込まれそう)
わざわざ時間と交通費をかけて、遠方に泊まりにいくには、求めるものがあってこそ。その求めるものは何か?
- 非日常
- 静謐
- 比類ない景観
- 地元食材を生かした料理
秘境の山あいの緑、小川のせせらぎ、渓谷、雪景色、オーシャンビュー、離島。
こういう絶景の地は行くに値する。料理が美味しい上質な宿がそこにあればなおさらだ。フランスの地方のミシュラン星付きオーベルジュなんて、周りはなにもないけど、その宿に泊まり、食事をすることだけが目的になっているものも多い。
都会やその近郊の温泉施設は混んでいる。伊豆・箱根は道中の渋滞からすでにストレスが溜まる。高速道路はブツブツに分断され数10キロごとに料金を払い、おまけにETCも使えない部分がある。
上質な雰囲気の温泉を望むなら、かなり足を延ばす必要がある。客が簡単に来られないほど不便なところで美味しいものが食べられる、とは難易度が高いが、行ってみたい。
客層も大事だ。他の客の会話内容など聞きたくないし、静かなはずの大浴場でやたらと洗面器の音を立てる客と一緒になると気が滅入る。
食事
美味しいか美味しくないか。が、これは味だけの問題ではない。
配膳スピード、タイミングが味の良しあしに影響する。
客はお腹を空かせているのだから先付は早く出す。着席前に用意されていてもいいくらいだ。当然、作り置きがきく冷たいモノになろう。が、干からびていては駄目。
その後の煮物や揚げ物は適度な熱さで、ステーキやなべ物のような熱いモノは十分熱く、が当たり前のサーブ方法だが、これがうまくいかない施設もある。厨房と配膳係との連携がうまくいって初めて、客の満足度は上がる。
甘みのある料理、酢の物、塩気のある料理を飽きないように組み合わせる。野菜、魚、肉の組み合わせも大事。料理人は出す料理の構成を吟味するが、自分の手元を離れた皿が、給仕する人たちがベストの状態で客の前に提供してくれるかまで、見届ける心意気が必要だ。
飲み物を出すタイミングも大事。私はアルコールは全くダメなので、お茶と水にしかコメントできないが、熱すぎるお茶では、最後の香の物を楽しめない。
食事も後半になると、すでに空腹は満たされているのだから、客の側が食事のペースをコントロールして、配膳サービスに合わせるのがストレスフリー。が、このタイミングで急にどどっと複数の品を持ってくるところもある。
料理長は、給仕の人たちに客が食する料理を食する機会を与え、舌を超えさせ、どういうタイミングで出せば自分が丹精込めて作った料理が、最高の状態で味わってもらえるか経験してもらう必要がある。アルバイトだからいつも簡単な賄いを食べさせておけばよい、とはいかないし、日本料理に馴染みのない外国で生まれ育った人では限界があろう。日本全国いずれも接客の上手な人材確保が難しいのは同じだが、やはり都会より山奥の方が難易度が高そう。
奈良県十津川村にあるホテル昴は、山奥の秘境にも関わらず、非常に上質な料理が選び抜かれた上品な器で提供されたのは嬉しいおどろきだった。が、給仕のフィリッピン人の女性は、メニューについての質問に答えられなかったし、二日目のアクがなくサシの入り方が絶妙な大和牛のしゃぶしゃぶは、ポン酢だけではなくゴマダレでも食べてみたかったが、彼女にゴマダレは通じなかった。
部屋は広ければよいというものではない。
軽井沢から少し離れた御代田にあるHIRAMATSUの部屋は広すぎる。重い引き戸がベッドルームからホールまで一回、更にホールを抜けて洗面まで一回開け閉めする必要がある。クローゼットにも重い引き戸が2-3枚重なっていた。一泊でこんな大きなクローゼットは要らない。全体に動線が悪かった。
ベッド
これも大きければよいというものではない。
クイーンサイズのベッドの真ん中に身を横たえると、サイドテーブルの照明や、スマホの充電のための電源はベッドの端まで移動しないと操作できない。結局端の方で寝ることになる。
ヘッドボードに少し広さがあり、照明や充電プラグ操作機能が頭の上に設置されている現代的なホテル用のベッドもあるが、味のあるアンティークベッドではサイドテーブルは必須になる。
海外のホテルだと、厚さ40センチくらいのマットレスを二枚重ね、足を含めると床から1メートル近い高さのベッドによじ登らなければならないものがある。百貨店の寝具売り場で見かける、ラルフローレンのべッドディスプレイはこの類だ。
クイーンサイズの背の高いベッドは、確かに「非日常」だが、私にはこんな「不便」で「寝心地の悪い」非日常はパス。
適度な広さの部屋に、日本人の体格に合った大きさ、高さのベッド。水回りは寝室からダイレクトに出入りできるen-suiteがいい。
寝具(シーツ、枕、かけ布団)
空調完備で、夏でも冬でも室内温度は適温だから、年中羽毛布団で通す、という宿もある。が、夏は薄手の軽いかけ布団にシーツは麻、冬は厚めの若干重みのあるかけ布団に綿100%のシーツがいい。カシミヤのシーツもあるらしいが、暖房が効いていれば綿のシャリ感が快適、と感じるのは私だけか?
何よりもシーツだけでなく、布団も枕も定期的に洗って頂きたい。安宿では枕が臭いことがある。
クッションの置き場所
ベッドの場合、洗いたての枕カバーを付けた枕の前に色物、柄物のクッションをいくつも並べていることが多い。装飾のためらしいが、クッションカバーは毎回洗っているとは思えず不潔だ。ベッドメーキングの際、これらクッションは邪魔だと、ソファに置くこともあるだろう。電車の席はもちろん、客によっては地面に座ったスカートやスラックスでホテルのソファに腰掛ける。こんなところに一旦置いたクッションを、洗いたての枕カバーを付けたばかりの枕に重ねて並べるのは御免。おおざっぱな清掃係だと、ベッドメーキングに邪魔だと、床にクッションを放り投げている可能性もある。客は枕に顔を付けるのである。

タオル
外国のホテルでは、大きくて重い割に吸水力のないバスタオルがおいてある。
今治タオル、泉州タオルのバスタオルはしっかり吸水力があるが、日本のバスタオルのサイズでは中肉中背の私でももう少し大きいといいな、と思うことがある。旅先なのだ。自宅のものとはちょっと違うのがいい。
十津川村のホテル昴の食事は大変美味しかった。最寄りの鉄道駅から4時間以上もバスに揺られてやっとたどり着けるところだ。フランスのミシュランオーベルジュのように、その宿の食事をするためだけに何時間もドライブするに値する料理だった。初めて食した大和牛の美味しさも嬉しい発見。
が、部屋に置いてあったタオルは大げさではなく雑巾のようだった。何度も何度も洗濯した水色のタオルは色あせ、ネズミ色になり、縮んでいる。柔軟剤の使いすぎか、吸水性はなく、乾燥機で縮んで小さくなり、中肉中背の女性の身体に巻くのもギリギリの大きさ、柔軟剤のせいでつるっと滑り落ちる。
フェイスタオルもよくあるオレンジ色で、こちらはバスタオルほど劣化していなかったが、吸水性がないのは同じ。新品でビニール袋に入っていた薄いタオルが、唯一まともな吸水力があった。温泉の中に持ちこむことが想定されているタオルだ。
浴場の脱衣室で、別の客が脱衣かごの上に、ふかふかそうな白いタオルを置いていたので、湯上りにフロントで、「このタオルしかないのですか?」と水色がネズミ色に近くなったタオルを見せて聞いてみた。比較的新しい白いタオルを選んで交換してくれた。
リネン会社が配達してくるタオルを、色も、色あせも、材質も、大きさもいっしょくたにして、適当に客室係が部屋に置いているのだろう。劣化し過ぎて、客に出すに忍びないタオルだと客室係が感じたら、マネージャーに進言すべきなのだが、そうならないのはビッグモーター化?あるいは、客室係は自宅でこんなタオルを使っているのだろうか?
なお、チェックインの際、浴場には部屋のタオルを持参するように言われた。二泊目のタオルは白かったが、縮んでおり、おまけに畳に直に置かれていた。潔癖症の自分は、旅になど出ず、自宅で地べたに置いたりしないお気に入りのサイズ、吸水性のタオルで入浴すればいいのだろう。が、宿泊を生業とし、十分すぎるほどの対価を要求しているのだから、やはり最低限の配慮は欲しい。
海外なら、ベッドスローという長い布がベッドの足元近くに掛けられていることがある。この布は、靴を脱ぐ習慣のない人が服のまま、靴のままベッドに横たわる際、シーツが靴で汚れないようにするためだという。この履いたままの靴を乗せる布の上に、わざわざたたんだタオルを置いている施設が日本にも海外にもある。洗面所のタオルハンガーにかければ済む話なのに。
温泉
自分には温泉の良しあしを判断するには知識がなさすぎる。が、湯舟の広さや湯の温度、洗い場と内風呂、露天風呂の配置の動線に無理がないものがいい。開閉する扉が重すぎて、裸足を傷つけるのではないか、と怖くなる浴場もある。
シャワーは洗いやすい高さにお湯の吹き出し口があるか、お湯の強さは適当か、なんて気にせず自然に使えるのが良い設備なのだろう。使い勝手が悪いと記憶に残るものだ。
共用大浴場だから足ふきが共用なのは仕方がない。これがいやなら、自室に温泉が引かれている部屋を選べばいいのだ。潔癖症の者は、サービスしてもらっているのだから、とできるだけ目をつぶらなければならない。
バスローブ
大抵サイズが合わない。厚くて、硬くて、重い。吸水性も低い。白が薄汚い色になっているものを置いている施設もある。
バスローブで水気を拭きとるわけではないので、ローブはタオル地である必要はない。入浴後、化粧水をつけたり、髪を乾かしたりの身繕いしている間の着衣としては、薄手の綿のローブが軽くて心地よい。夏に限らず、軽いワッフル素材もいい。成田空港で外国人旅行者用に売っていたガウンやローブとしても使えるヒモつきの綿100%の浴衣もいい。ヒモは、旅館で提供される浴衣の厚手の帯ではなく、同じ布地の紐で十分。これなら、ローブと一緒に洗える。洗濯に必要な水や洗剤、光熱費も節約できるだろう。
ちなみに、高級旅館でも寝巻用の帯は、毎回洗濯しているわけではなさそうだ。前の宿泊客が鼻をかんだ手で結んだ帯かもしれないと思うと、気持ち悪い。
ま、そんなことを言い出すと、テレビのリモコンからドアノブからあらゆる手に触れる場所を自分で消毒して回らなくなり、宿に泊まること自体がストレスになる。
トイレ
もう20年以上、トイレが共用の宿には泊まっていない。若い時は共用部の多いペンションでも気にならなかったのだが。少し値段が高くても旅館ならトイレ付の部屋を選ぶ。ホテルは、たとえユニットバスでも自分用のバストイレ付きでないと気持ち悪い。
旅館の自室トイレに、引き戸ではない、手前に引く扉を開け、足元にトイレ用スリッパを見つける瞬間、毎度のことながらうわっと思う。まず、今履いているスリッパを扉の開閉の影響を受けない、ちょっと遠い場所に脱いで、それからトイレ内のビニールのトイレ用スリッパに履き替えることになる。トイレ用スリッパは消毒してあるのだろうが、保証の限りではない。前の客に座って用を足さない男性客がいたとしたら、尿はトイレ内のあちこちに飛び散っている。こうなると、自宅に引きこもっている方がストレスが溜まらない。繰り返す。鷹揚でないと旅には出られない。
枕元の照明
洋室ならベッドの横にサイドテーブルがあり、照明器具がおいてある。狭いビジネスホテルでは、場所を取らないようベッドそのものに照明器具がビルトインされている。
問題は、和室に布団のケース。
もう10年近く前になるが、長野県松本市郊外の高級とされる扉温泉明神館で、畳に敷いた布団の横に置く照明器具を求めたら、小学生の勉強机に使うような横長の白色灯のシェードが金属製の照明器具を持ってきた。和室用の高さ30センチほどの白木や竹でできた照明器具は、ヤマギワ電気にいけば何十年も前から販売している。今ならネットで「和風照明器具」と検索すればより取りみ取り。電気のない時代でも行燈、というものがあったはず。
加えて、「高級旅館」明神館の従業員が、靴を脱いで畳の部屋に上がってきた途端、足なのか靴下なのか強烈な臭いをしたのは、冗談を通り越し、悲しくなった。改善されたことを祈る。
十津川村のホテル昴のことに何度もふれるのは、ほんの2か月前の滞在だからだが、期待度が高いことも理由だ。ほんの少しの工夫と努力で、山奥の、迂回してでも行ってみたいホテルになるポテンシャルがある
昴の提供された和室には枕元照明がなく、フロント係は何とか木製の照明を探してくれた。が、残念なことに手元にスイッチがなく、プラグを抜き差ししないと点灯、消灯ができない。布団を自分でプラグのそば、すなわち部屋の端に引っ張っていった。でないと、天井のまぶしい白色蛍光灯を消すために部屋の入口近くのスイッチまで歩き、暗い中わずかな非常灯を頼りに(あるいは自分でスマホのライト機能を使って)布団に戻るしかない。夜中に手洗いに行くのも、不便。非常用の懐中電灯で代用しようと枕元に置こうとしても、なぜか壁からはずれなかった。
和室の場合も洋室のベッド横のように照明設備とスマホの充電用電源を用意する配慮が欲しい。客を泊める、ということは、こうした細かい配慮が必要だということがわかっていない宿が結構多い。一番配慮が行き届いているのは、大手ビジネスホテルチェーンかもしれない。狭い部屋に、コックピットのようにすべての機能を凝縮させている。アパホテルは社長の帽子とその旦那のむき出しの嫌韓嫌中姿勢は苦手だが、ホテルとしてはよくできているようだ。
従業員の足が臭かった明神館は松本からバスに揺られるのだが、松本市内にあるホテル花月は、ビジネスホテルよりずっと部屋も広く、夕食のテロワールと称するフレンチは美味しく、朝食ビュッフェも行き届いたメニューの素敵な老舗ホテルだった。地元の作家による食器もおしゃれ。地下には浴場もある。何度も泊まったが、多分私にとってこういうサイズ、料金、料理の質のホテルが一番満足度が高いのだと思う。
滞在して泊まるということは、客は全身をその施設にゆだねるということ。食事だけなら、感じる部分はテーブル、食器、ナイフフォーク、箸、ナプキン、そして手洗いで、滞在は2―3時間程度に限定される。宿となるとたとえ一泊だけでも20時間近く、客の生活習慣や好みと、施設が提供するハードやソフトが対峙することになる。浴場も寝具も肌を直接つける設備である。長時間にわたり、客は全身で宿泊施設が提供する心遣いを感じるのだ。
最後に、良くも悪くも記憶に残っている国内のホテル、旅館のいくつかへのコメントを記しておく。扉温泉明神館、松本花月ホテル, THE HIRAMATSU軽井沢御代田は上記の通り。
十津川村ホテル昴
何度も言及したのは期待値が高いから。文字通りド田舎なのに、腕のいい料理長を誇れる第三セクターの宿。雑巾タオルと照明器具さえ改善すれば評価はドンと上がる。ちなみに寝具は大変気持ち良かった。
星のや軽井沢
残念ながら料理は美味しくなかったし、バリアがいっぱいの部屋の構造も不可思議。動線も複雑で居心地はよくなかった。
界アルプス
同じ星野グループ運営。地元食材を使っていたが、料理ははっきり言って不味く、案内の若い女性は感じが悪かった。真冬に浴場にいくのに、一旦部屋を出て寒空の中、別の棟に移動する必要がある。余談だが、マッサージを頼んでノックされた扉を開けたら、若い凄いイケメンが立っていたので、ちょっとドギマギした。
強羅花壇
料理は最高に美味しかった。が、チェックイン手続きを済ませて、部屋に案内してもらおうとすると、男性従業員が担当の女性の仲居に耳打ちし、何やらもめている感じだった。客の私たちが問題なのかと不安になった。
ザ・ウインザーホテル洞爺
客の面前での従業員同士のコソコソ話といえば、このホテルの朝食受付の若い女性二人がひどかった。業務連絡でもなく、客の私についての品定めに思えて非常に不愉快だった。フレンチの夕食もコクがなく、温泉は3時過ぎにチェックインしても5時からしか使えない。しかも部屋から大浴場に行くには、上り坂の廊下をふくめ10分近く(!)かかるのである。11月下旬の北海道廊下は寒い!
修善寺あさば
温泉利用時間の遅れは、この有名旅館でも残念だった。完全なお湯の入れ替え日に当たったらしく、この点は衛生上の理由だから大目に見てあげたいが、チェックインの際にお湯張りが遅れていることに注意喚起がなかった。浴場にむかったのは4時頃になっていたが、半分位しかお湯が溜まっていなかった。高額の部屋の担当者は和服、そうでない(と言っても高いのだが)部屋係は昭和の地方銀行のような制服、という階級意識。
料理は珍しい食材を丹精込めて提供されていて満足。最後に出された大粒のいちごの甘みに感動。いちごは色、形は出色の果物だが、糖度が高いとされる「あまおう」ですら甘みに欠けると思ってきた。相当品種改良しているのだろうが、こうした非日常の食材に出会えるのも高級旅館、レストランを試す妙味ではある。
有馬温泉月光園
近畿地方の会社の慰安旅行に使われていたのだろう。今時全室喫煙可。禁煙部屋の設定がない。それでも、そこそこ評価の高いホテルになっているらしい。部屋が広いのは慰安旅行で8人とか10人とかを布団を並べて詰め込むため。一人当たり料金は割安になる。大人数の全員がタバコを吸うこと何十年、染みついたニコチンの臭いは、消臭剤や空気清浄器を使っても消えるものではない。JR東日本の「大人の休日倶楽部」の「贅なるひととき」と銘打つ旅行に参加したらこの宿だった。今時、全室喫煙可、禁煙部屋の全くない宿を「厳選」するなんて・・・
白馬村ラネージュ東館
月光園の嫌な思い出を打ち消すために、最後にもう一度泊まってみたい宿を上げておく。適当な広さで、水回りはen-suite。夕食も朝食も最高だった。やっぱり宿は企画旅行のお仕着せのものではなく、自分で選ぶものだ。次に泊まる時は、前日に電話して枕に色物のクッションを並べて置くのは辞めて欲しい、とお願いしよう。

(2023年7月31日記)
福生(ふっさ)市―横田基地の街に行ってきた
東京の基地の街
周りに誰も英語を話す人がいなかった半世紀以上も前の大阪の高校生時代。生きた英語学習についての断片的な情報の中に、早口のFar Eastern Network (FEN)を必死になって聴く、というものがあった。残念ながら関西でははっきりと受信できなかった。上京してラジオをチューニングして初めて、これか!と。米軍基地に住む米国人向けの放送だった。
沖縄本島の約15%が基地の沖縄を比べるべくもないが、岩国、三沢の他、東京にも基地はある。大統領はじめ、米国政府高官が日本を訪れる際は、成田や羽田ではなく、横田基地に着陸することがある。日本が敗戦国であることと東西冷戦の名残を思い起こす瞬間だ。
横田基地の最寄り駅はちょっと面白い読み方の福生(ふっさ)。周辺の行政区の名前は福生市。花粉が終わったら行ってみたい場所のリストに入れておいた。
6月9日、「午前中は雨だが、午後には回復する」という予報だったので、洗濯を済ませて午前10時過ぎに福生に向かった。梅雨の季節は外出には向かないかも知れないが、猛暑よりましだ。小さなマイボトルに冷たい麦茶を入れて長靴を履いて出発。
「スチューベン・オータマ」の絶品ドイツ料理
11時半過ぎにJR青梅線の福生駅に着いた。まずは腹ごしらえ。事前に調べておいたドイツ仕込みのハムやベーコンを製造販売する「大多摩ハム」の2階にあるスチューベン・オータマでランチ。
これが絶品だった。定食には必ずスープとサラダが付いてくる。スープはミネステローネ風。キャベツ、玉ねぎ、トマトと野菜のうまみが詰まっていた。大多摩ハムの自家製ベーコンもダシとして使われていたのかもしれない。
メインは1日限定15食というロールキャベツを選んだ。ハムとベーコンのカツレツとの間で迷ったのだが、自分で料理をするとき、揚げ物より煮込み料理の方が難易度が高いので、ロールキャベツにした。
焼いたソーセージは最初から選択肢に入っていない。和食の定食屋で刺身定食を頼む人がいるが、理解できない。本マグロ、中トロ等の旨い刺身の盛り合わせをスーパーで買ってくれば、家でも贅沢できる。外食ではプロの料理人が手間暇をかけた、付加価値の高いメニューを選びたい。
選択に間違いはなかった。さすがプロ。大きな塊がデンと鎮座し、キャベツはトロトロに煮込まれている。キャベツの中の合い挽き肉を自分で一口大に切り、キャベツとソースを合わせ、絶妙の塩加減、油気のバターライスと一緒に口に入れる。キレイに平らげた。孤独のグルメの主人公ならなんと表現するのだろうか?唯一の失敗はロールキャベツのソースが最初のスープと同じ味だったことだ。
余談だが、キャベツが柔らかくてナイフで切る必要がないのは、日本の春キャベツだからだと思う。ヨーロッパの芽キャベツなんて、「芽」だから柔らかいのだろうと思ったら騙される。煮ても焼いても石のように固かった。細かく刻んで煮込んで酢漬けにしたザウワークラウトは、保存の意味もあるのだろうが、あの硬いキャベツを柔らかくする工夫ではないかと想像する。
こんなに美味しいのなら、お手頃価格のフルコースを選ぶべきだった、と後悔したが、ロールキャベツはコースメニューに入っていなかったので、この選択で良かったと言い聞かせた。テーブル脇には、デザートも全て自家製とあった。アイスクリームはバニラかマスカルポーネの2種類。バニラならハーゲンダッツや、新幹線の車内販売のスジャータでも十分美味しいので、マスカルポーネにした。これも濃厚で絶品だった。
腹ごしらえしたところで、福生の街に出る。レストランの女性が親切にアメリカっぽいところへの道順と、電車で来たのなら福生駅以外にも歩いて行けると教えてくれた。
多国籍の風情
タイ料理、ペルー料理、インドカレー等々多国籍のレストランには、外国人客の姿もちらほら。通行人にも基地の人かな?と思う人がいる。昼間なので、バー、ナイトクラブと思しき店は閉まっている。夜にはネオンが輝き、ちょっと猥雑な雰囲気になるのだろうか?
東京環状(国道)に突き当たると「U.S. AIR FORCE Yokota Air Base 横田基地」と大書されたゲートが現れた。バギーを押す女性がゲートからこちらに向かってくる。六本木の米国大使館員の宿舎とよく似た雰囲気だ。日本にあって日本でない。

国道沿いにあるアメリカっぽい店はもっぱら古着と雑貨。スニーカー、Tシャツ、ショートパンツ等、自分の好みではない品々なので、数軒ウインドー越しに眺めただけで都心に近い駅の方向に歩き始めた。
基地の外の福生の街に根を下した外国人が結構いる
幹線道路の国道は車の騒音や排気ガスの臭いで快適ではない。 一本中に入った「わらつけ街道」と呼ばれる道を歩く。レストランで見かけた外国人がいかにも米軍人とその家族らしかったのに、この街道ですれ違う外国人は米国から来たアフリカ系の人というよりも、フランス語を話すアフリカ系の人が目立つ。軍関係者なら髪を短く刈り込んでいるはずだが、そうではない。アフリカの民族衣装のようなものを着ている人もいた。自転車に乗っていて、福生の町で生活していると感じさせる。4-50代の普通の髪型の男性が、若いアジア系の女性と日本語で「学校は?」なんて話していて、不思議な感じがした。軍の人ではなさそう。
わらつけ街道は車の対面通行が可能なのだが、狭くて、日本人女性と思しき人の運転する軽自動車が通行人の私が通れなくなるほど道路の端によって来るので、のんびり散策という気分ではない。ところどころ、全く舗装されておらず、大きな水たまりができた砂利の私道っぽい道路が街道脇にある。昭和30年代!もっとも、5月に1時間以上かけて歩いた都心の神楽坂、飯田橋界隈も舗装されていない細い私道があちこちにあった。
牛浜駅を見過ごしてしまい、拝島駅を目指したので、結構な距離を歩くことになった。平成30年築の都営住宅が並んでおり、公開空地の「申請者 東京都知事 小池百合子」という掲示板が出ているが、外国人にすれ違ったのはこの都営住宅周辺が一番多かったような気がする。
拝島駅らしいものが数百メートル先に見えてきたが、道路やトンネルが交差しており、駅への近づき方がよくわからない。前方から歩いてきた女性に「拝島駅にはどのように行くのですか?」と聞く。多分フィリッピン人だと思われる女性は、日本語で、トンネルを抜け、ファミマや公園を目指していく、と親切に教えてくれた。基地の将校のメイドさんなのかなとも思ったが、東京のど真ん中の六本木で出会う、駐在員や大使館員の元ではたらくメイドさんたちはほとんど日本語を話さなかった。道を教えてくれた女性は日本人男性と結婚した人かも知れない。
拝島駅はJR青梅線、八高線、五日市線が合流する駅だ。首都圏は東海道線や中央線のような幹線以外に、JR南武線、横須賀線等々鉄道網が広がっている。そんな東京の郊外で、日本での生活に腰を落ち着けた、基地の人とは思えない何人もの外国出身者に出あったのは、ちょっとした発見だった。こういうラッシュアワーを避けた、公共交通機関を使った小さな日帰り旅は楽しい。猛暑が始まる前にもっと行きたい。
辞めて欲しい、エスカレーターの一列並びと駆け下り、駆け上がり
もっとも通勤時間を避けた首都圏の公共交通機関の便利さを痛感しながらも、毎回うんざりすることもある。立川駅なんかは乗降客が多い。ストレスが溜まるのは、エスカレーターの1列並びとその横を駆け上がる人だ。
ひろゆきとかホリエモンのような有名人が、エスカレーターで一列に並ぶために長い行列を作っている日本人を「頭が悪い!」とツイッターで断罪していたのを思い出した。エスカレーターと階段が並んでいても、階段ではなくエスカレーターの右側を駆け下りたり駆け上がったりする人がいる。「エスカレーターは歩かず、二列に並んで立ち止まり、手すりを持って(コロナが流行ろうが流行るまいがさわりたくないが)」と放送している鉄道会社もたまにあるが、ほとんどの鉄道会社は「二列で静止」を徹底する気はなさそうだ。歩行者も面倒を起こしたくないから、根気よく左側(これが大阪になると右側になる)に並んでいる。歩きスマホしているからゆっくりでもいいのだろうが、本当に意味のない慣行だ。
2023年6月13日記