人生の第三コーナーの衣食住

ライフスタイルブログ:インテリア、家のメンテ、ソーイング、失敗続きのパン作りなどをつづっていきます

オペラにはまった―ヴィットリオ・グリゴーロ、セクハラ事件からの復活

9月の敬老の日の連休、ローマ歌劇場の公演を観にいった。

ひとつめは17日のトスカ、翌18日はラ・トラビアータ。いずれも有名な演目だが、一度も観たことはない。

 

オペラにはそんなに興味がなかった。教養のためと、いくつか観たことはあるが、外国語の歌を字幕で意味を追ってもあまり感動しないし、話は大体古臭い。障害に阻まれる純愛はいつの時代にもあるけど、古典オペラの舞台では身分制度が基本にあり、「フィガロの結婚」なんて領主の初夜権なんて出てくる。

 

今年の初めにウクライナ歌劇場の「カルメン」を観に行ったが、これはウクライナの芸術家への応援。

 

ローマ歌劇場の日本公演はテレビ東京でやたらと宣伝しており、ミラノスカラ座ではないが、オペラ発祥の地イタリアだからローマも凄いんだろう、演目も有名だから観ておこうか、くらいの気持ちだった。安い席は早々に売れていて、それなりの大枚をはたくことになった。同じ劇場である必要もないと、トスカは神奈川県民ホール、トラビアータは東京文化会館にした。

 

手が痛くなるから拍手はしないと決めていたのだが

初めて入場した神奈川県民ホール山下公園に面した、港の見える気持ちの良い劇場だった。相変わらず30度越えの真夏日で、15時開演までに少し元町商店街をウロウロしたのでちょっと疲れていた。あらすじは予習してきたが、初めて観る演目のどこで拍手をしたらいいのかわからないし、手を叩くのは痛いので他の観客にまかせようと決めていた。

 

トスカの第一幕のテノールのアリア「妙なる調和」。ヴィットリオ・グリゴーロなんて、犬のゴロスリみたいな名前の歌手にのっけから圧倒された。われを忘れて手を叩いていた。男性オペラ歌手で知っている名前はひと昔前の三大テノールくらいだった。

 

翌日のトラビアータの方が、有名な「乾杯の歌」の合唱もあり、バレエも加わる絢爛豪華な舞台だが、主役の青年貴族アルフレードテノールが初日のテノールの人だったら良かったのに、とつい思ってしまった。

 

若い頃は超絶イケメンだったグリゴーロ

連休明けはずっとグリゴーロの検索三昧。歌声に圧倒されたのだ。まあまあいい席だったが、私の安物の携帯オペラグラスでは歌手の顔を鮮明な大写しでみることはできない。PCで画像をざっと見ると、これがなんと往年のマストロヤンニ風のいいオヤジ、イケオジである。

 

Before

オペラ歌手としてデビューしながらもポップスを謳っていた若い頃は、ほっそりとして、少しこけた頬やシャープなアゴの線が魅力的な超イケメンだった。白黒文芸映画の「パルムの僧院」のファブリス・デル・ドンゴや「赤と黒」のジュリアン・ソレルを演じたフランスの美男俳優ジェラール・フィリップを彷彿とさせる。笑い顔は日本の瀬戸康史風で可愛い。横顔はオダギリ・ジョー風か。この顔で、タイタニックのMy Heart will go on や、イタリア語でささやくようなCosiという歌を歌うのである。

 

20代の頃か?

After

30代からポップスは封印してオペラ歌手に専念したようだが、皆が苦しんだコロナの2-3年間は、オペラ歌手にとっては特に災難だったのだろう。公演がないと一度に大量のカロリーは消耗しないし、次の公演の当てのない練習も普段よりゆるめだったのかも知れない。すっかり太って二重アゴ。ひげ面で、かつての白皙の美青年も、こんなになるのだ。金正恩のようにスーツの肩が盛り上がり、後ろからみた首に二重線が入りそう。

 

2020年サンレモ音楽祭。丸々してます

日本公演中のセクハラ疑惑

コロナ勃発前の2019年9月、英国のロイヤルオペラハウス(ROH)の日本公演の際、セクハラ行為を指摘され、降板。その後のNYメトロポリタン歌劇場(MET)での予定も下ろされたそうだ。

当時のニュースによると、「ファウスト」のカーテンコールの際、妊婦役の女性の詰め物で膨らんだ腹部を撫でまわしたという咎である。ジャニー喜多川のような夜這いではなく、公開の場であるが、女性が嫌だとはっきり言っていたそうだ。調査に入る前の容疑の段階で即降板、を決定する英国、米国というアングロサクソンの容赦なさは目をみはる。#MeToo運動も盛り上がっていた時期であったことも影響したのかもしれない。

このzero toleranceゼロ・トレランス,、一切の寛容は許さない感覚では70年近く続いたジャニーの性加害を隠蔽していた日本はいかにも生ぬるい、となる。

 

公演を観た日本のどなたかが、「グリゴーロの行為には特に違和感はなかった」という趣旨のコメントをツイッターか何かで公開し、「事件」の4日後、既に公演先の日本から「追放」*されたグリゴーロは、インスタグラムで「日本の方々の支援に感謝します」という趣旨のメッセージを公開している。

 

*日本の公権力による国外追放ではなく、公演主催者のROHが、降板でもう日本に  いる必要はないと帰国させたようだ。

 

降板の連続後、ようやく復活

その後の調査結果でグリゴーロの行為は基準を下回る、inappropriateと判断された。続く別の地での公演も次々と降板させられたようだ。

 

翌年の2020年夏にはロシアでの野外音楽フェスに出席して美声を響かせていたが、英米のメディアは「追放されたグリゴーロ、ロシアにヘルプを求める」と皮肉っていた。コロナに加えて干されていた時期だから、余計太ったのかもしれない。

 

ほとぼりが冷めたのか、グリゴーロもこの事件から復活した。今年初めのサントリーホールでソロコンサートより前、まだ日本入国後14日間の行動制限のあった時期にもソロコンサートのため来日していた。「たとえ14日間動けなくても、日本に来たかった」とのこと。セクハラ男のレッテルを貼られた辛い時に、日本人のツイッターに慰められたのかも知れない。

 

が、主役なら何をやってもいい、ということではない

にわかオペラファンでも主役のテノールはソプラノと並びオペラの華そのものだということくらいはわかる。カーテンコールでは悠然と最後に登場する。観客の拍手はいや増して大きくなり、ブラボーの連発。時にはスタンディングオベーション。女王様気分、王様気分になるのは容易に想像できる。歌舞伎にカーテンコールはないが、今年自殺未遂(?)をした市川猿之助は、殿様気分でやりたい放題だったという報道が出た。オペラなら領主様気分か?

 

サービス精神旺盛なグリゴーロだけど

それで思い出したのは、神奈川県民ホールでのトスカのカーテンコールのシーン。グリゴーロはおちゃらけサービス精神満載だった。共演者や、指揮者はじめオーケストラメンバーへの拍手を、観客に対しひとりで懸命に求めていた。拷問で血だらけになった衣装のまま、コメディアンのようにおどけながら、オペラを支える全ての人への賞賛を求めるコントラストも鮮烈。観客が一斉に退出するタイミングを避けて早めに退場したが、その歌声で雷に打たれたようになった上に、ずいぶん愛想のよい主役テノールだったなあ、という強烈な好印象を抱いて家路を急いだ。

 

相手が嫌だと思えば「不同意」「強制」

2019年のファウスト日本公演でのカーテンコールでも同じノリだったのだろう。が、男性に同意なく気安く触られるのを歓迎する女性はいない。若い女性ならなおさら、若くなくてもいやなものは嫌だ。端役の若手でも、たとえ相手が大スターであっても、「詰め物部分」であっても、公衆の面前で撫でまわされたくはないだろう。

グリゴーロも自分はもはや、ジルダのような若い女性を含めたすべての女性を魅了するマントヴァ公爵ではなく、40半ばの小太り中年男になったということを自覚しないと。

世界を舞台に歌い続けて欲しいから、日本にもまた来て欲しいから、女性になれなれしくする場合は、相手を選んで慎重になって欲しい。

 

学習しない大御所男性が多すぎる

グリゴーロが糾弾されたのと同じ頃、80近くになってプラシド・ドミンゴが、複数の女性にセクハラで告発され、謝罪に追い込まれた。ドミンゴと同じ出身地スペインのサッカー連盟会長は、今年の女子サッカーで優勝したスペイン代表選手に無理やりキスをしてすったもんだの末、会長辞任。つい先日のこと。日本でも女子選手の金メダルを噛んだ名古屋市長もいた。

皆、高い地位にいる男性だがホント学習しないねえ。

 

www.nikkansports.com

 

減量もお願いします

日本公演で、是非あの歌声を聞かせて欲しいので、セクハラで降板、追放、なんて繰り返さないで欲しい。それから、贅肉を減らすこともお願いしたい。ご本人も王子様や貴公子の役をやり続けたい、とインタビューで言っている。私が観た今年9月のグリゴーロは、2020年頃より体重は落ちていたようだが、若いロミオ役もアルフレード役も無理がありそうで、あまり見たくはない。

 

5月に歌舞伎座で、78歳の片岡仁左衛門の「いがみの権太」を間近で観た。もともとほっそりしているし、歌舞伎の厚化粧で若作りしていたが、首筋のシワや裾をまくった時に見える脛の老人臭さは隠しようがない。

 

美声同様、容姿も本人の鍛錬でいくつになっても相当維持できるはずだが、元の美形に近い姿のグリゴーロを生で楽しめるのもあと数年か。劇場は階段ばかりでバリアフリーとは程遠い。観る側の自分も足腰が弱くなっていく。楽しめる時におおいに楽しもう。

グリゴロさん、素敵な歌をありがとう!

 

(2023年10月6日記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルの評価を考える――ホテル業界の方に読んでもらいたい、潔癖症のつぶやき

ヤフーでは、私の関心を反映してか首都圏近郊ベストホテルとか、京都で評価の高い旅館、とか流れてくる。クリックして全文を読もうとするから、次からもホテル旅館関連の情報が向こうからやってくる。

 

国内外の色々な宿泊施設に泊まった。大衆的なところはもちろん、それなりに高級宿も。

とは言ってもが、せいぜいひとり1泊二食付き10万円ちょっと。後述の強羅花壇、修善寺あさばである。昨今話題の一泊100万円のブルガリホテルとか、仁和寺貸し切りなんて、多分今後も泊ることはないだろう。

 

JR西日本寝台列車瑞風は2泊3日のコースだと、一泊40万円くらいだが、観光も朝昼晩の食事も移動もコミコミの値段。部屋だけではない。

 

結論は、

  • 広すぎる(従って高額の)客室は居心地がよくない、
  • 美味しい料理も配膳のタイミングやお茶の温度により満足度が下がる、
  • 潔癖症の者にとり、温泉大浴場の共用足ふきマットは不潔に感じる、

等々と自分のこだわりを追求していると、泊まるより、日帰りで、自然豊かな場所にあるプロが丁寧に調理した上質な料理を食べに行くのが正解、ということに気づいた。

それでもなお遠出して泊まるには相応の理由が必要だ。

 

宿泊施設の評価基準は個人の嗜好で大きく異なる。私はウルサイ。

  • ロビーの雰囲気(バスに乗ってくる団体客を迎える大型ホテルのカラフルな、臭いが染みついたカーペットは苦手。クラブツーリズムや大人の休日倶楽部が「厳選」したというちょっと贅沢な宿でも、この類。そらそやろ、団体旅行に参加しているのだから)
  • 煙草の臭い、ゲーム機器、ガチャの販売機、カラオケ設備。いずれもOUT。
  • 客室の広さ(不必要に広いと、かえって居心地が悪い)
  • 料理(東京、京都、大阪なら、街中に豊かな食材を使ったレベルの高い料理店がある。なぜ、遠出する必要があるのか?カニノドグロ、クエも東京に運ばれてくる時代に。)
  • アメニティ(使い捨ての歯ブラシはどんな高級なものでも、いつもの歯ブラシの使い心地には及ばない。自宅ならパナソニックのジェットウオッシャーがあり、食後のお口スッキリ。シャンプー等は宿のものが気に入って、その後自宅でもずっと使うものがある。松山油脂Leaf&Botanicsのディスペンサーのデザインもラベンダーの香りも長野安曇野の旅館「なごみ野」で発見)
  • 温泉の質(わからん。厳選かけ流し、と言われたって効能は不明。街中の温泉施設でも、地方の温泉湯を運んできている(?)と謳うものもある)
  • エステ、マッサージ(客からみての一見さんの技術より、近所のいつもの人の方が上手なことが多い。ホテルや温泉宿ではまずアカスリサービスはない。それに、せっかく旅先で肩こりをほぐしてもらっても、帰りの車や電車で数時間座るとまた凝る。近場に限る。)
  • 立地(東京では雪国の露天風呂の雰囲気はまず望めないから、これは遠出する価値がある。たまに雪が降った日に東京近郊の日帰り温泉までノーマルタイヤで運転したり、公共交通機関で出かけたりすると、事故に巻き込まれそう)

 

わざわざ時間と交通費をかけて、遠方に泊まりにいくには、求めるものがあってこそ。その求めるものは何か?

  • 非日常
  • 静謐
  • 比類ない景観
  • 地元食材を生かした料理

 

秘境の山あいの緑、小川のせせらぎ、渓谷、雪景色、オーシャンビュー、離島。

こういう絶景の地は行くに値する。料理が美味しい上質な宿がそこにあればなおさらだ。フランスの地方のミシュラン星付きオーベルジュなんて、周りはなにもないけど、その宿に泊まり、食事をすることだけが目的になっているものも多い。

都会やその近郊の温泉施設は混んでいる。伊豆・箱根は道中の渋滞からすでにストレスが溜まる。高速道路はブツブツに分断され数10キロごとに料金を払い、おまけにETCも使えない部分がある。

上質な雰囲気の温泉を望むなら、かなり足を延ばす必要がある。客が簡単に来られないほど不便なところで美味しいものが食べられる、とは難易度が高いが、行ってみたい。

客層も大事だ。他の客の会話内容など聞きたくないし、静かなはずの大浴場でやたらと洗面器の音を立てる客と一緒になると気が滅入る。

 

食事

美味しいか美味しくないか。が、これは味だけの問題ではない。

配膳スピード、タイミングが味の良しあしに影響する。

客はお腹を空かせているのだから先付は早く出す。着席前に用意されていてもいいくらいだ。当然、作り置きがきく冷たいモノになろう。が、干からびていては駄目。

その後の煮物や揚げ物は適度な熱さで、ステーキやなべ物のような熱いモノは十分熱く、が当たり前のサーブ方法だが、これがうまくいかない施設もある。厨房と配膳係との連携がうまくいって初めて、客の満足度は上がる。

甘みのある料理、酢の物、塩気のある料理を飽きないように組み合わせる。野菜、魚、肉の組み合わせも大事。料理人は出す料理の構成を吟味するが、自分の手元を離れた皿が、給仕する人たちがベストの状態で客の前に提供してくれるかまで、見届ける心意気が必要だ。

飲み物を出すタイミングも大事。私はアルコールは全くダメなので、お茶と水にしかコメントできないが、熱すぎるお茶では、最後の香の物を楽しめない。

食事も後半になると、すでに空腹は満たされているのだから、客の側が食事のペースをコントロールして、配膳サービスに合わせるのがストレスフリー。が、このタイミングで急にどどっと複数の品を持ってくるところもある。

 

料理長は、給仕の人たちに客が食する料理を食する機会を与え、舌を超えさせ、どういうタイミングで出せば自分が丹精込めて作った料理が、最高の状態で味わってもらえるか経験してもらう必要がある。アルバイトだからいつも簡単な賄いを食べさせておけばよい、とはいかないし、日本料理に馴染みのない外国で生まれ育った人では限界があろう。日本全国いずれも接客の上手な人材確保が難しいのは同じだが、やはり都会より山奥の方が難易度が高そう。

 

奈良県十津川村にあるホテル昴は、山奥の秘境にも関わらず、非常に上質な料理が選び抜かれた上品な器で提供されたのは嬉しいおどろきだった。が、給仕のフィリッピン人の女性は、メニューについての質問に答えられなかったし、二日目のアクがなくサシの入り方が絶妙な大和牛のしゃぶしゃぶは、ポン酢だけではなくゴマダレでも食べてみたかったが、彼女にゴマダレは通じなかった。

 

部屋は広ければよいというものではない。

軽井沢から少し離れた御代田にあるHIRAMATSUの部屋は広すぎる。重い引き戸がベッドルームからホールまで一回、更にホールを抜けて洗面まで一回開け閉めする必要がある。クローゼットにも重い引き戸が2-3枚重なっていた。一泊でこんな大きなクローゼットは要らない。全体に動線が悪かった。

 

ベッド

これも大きければよいというものではない。

クイーンサイズのベッドの真ん中に身を横たえると、サイドテーブルの照明や、スマホの充電のための電源はベッドの端まで移動しないと操作できない。結局端の方で寝ることになる。

ヘッドボードに少し広さがあり、照明や充電プラグ操作機能が頭の上に設置されている現代的なホテル用のベッドもあるが、味のあるアンティークベッドではサイドテーブルは必須になる。

 

海外のホテルだと、厚さ40センチくらいのマットレスを二枚重ね、足を含めると床から1メートル近い高さのベッドによじ登らなければならないものがある。百貨店の寝具売り場で見かける、ラルフローレンのべッドディスプレイはこの類だ。

クイーンサイズの背の高いベッドは、確かに「非日常」だが、私にはこんな「不便」で「寝心地の悪い」非日常はパス。

 

適度な広さの部屋に、日本人の体格に合った大きさ、高さのベッド。水回りは寝室からダイレクトに出入りできるen-suiteがいい。

 

寝具(シーツ、枕、かけ布団)

空調完備で、夏でも冬でも室内温度は適温だから、年中羽毛布団で通す、という宿もある。が、夏は薄手の軽いかけ布団にシーツは麻、冬は厚めの若干重みのあるかけ布団に綿100%のシーツがいい。カシミヤのシーツもあるらしいが、暖房が効いていれば綿のシャリ感が快適、と感じるのは私だけか?

何よりもシーツだけでなく、布団も枕も定期的に洗って頂きたい。安宿では枕が臭いことがある。

 

クッションの置き場所

ベッドの場合、洗いたての枕カバーを付けた枕の前に色物、柄物のクッションをいくつも並べていることが多い。装飾のためらしいが、クッションカバーは毎回洗っているとは思えず不潔だ。ベッドメーキングの際、これらクッションは邪魔だと、ソファに置くこともあるだろう。電車の席はもちろん、客によっては地面に座ったスカートやスラックスでホテルのソファに腰掛ける。こんなところに一旦置いたクッションを、洗いたての枕カバーを付けたばかりの枕に重ねて並べるのは御免。おおざっぱな清掃係だと、ベッドメーキングに邪魔だと、床にクッションを放り投げている可能性もある。客は枕に顔を付けるのである。

THE HIRAMATSU軽井沢御代田の大きすぎる部屋とベッドと無用のクッション

 

タオル

外国のホテルでは、大きくて重い割に吸水力のないバスタオルがおいてある。

今治タオル、泉州タオルのバスタオルはしっかり吸水力があるが、日本のバスタオルのサイズでは中肉中背の私でももう少し大きいといいな、と思うことがある。旅先なのだ。自宅のものとはちょっと違うのがいい。

 

十津川村のホテル昴の食事は大変美味しかった。最寄りの鉄道駅から4時間以上もバスに揺られてやっとたどり着けるところだ。フランスのミシュランオーベルジュのように、その宿の食事をするためだけに何時間もドライブするに値する料理だった。初めて食した大和牛の美味しさも嬉しい発見。

が、部屋に置いてあったタオルは大げさではなく雑巾のようだった。何度も何度も洗濯した水色のタオルは色あせ、ネズミ色になり、縮んでいる。柔軟剤の使いすぎか、吸水性はなく、乾燥機で縮んで小さくなり、中肉中背の女性の身体に巻くのもギリギリの大きさ、柔軟剤のせいでつるっと滑り落ちる。

フェイスタオルもよくあるオレンジ色で、こちらはバスタオルほど劣化していなかったが、吸水性がないのは同じ。新品でビニール袋に入っていた薄いタオルが、唯一まともな吸水力があった。温泉の中に持ちこむことが想定されているタオルだ。

浴場の脱衣室で、別の客が脱衣かごの上に、ふかふかそうな白いタオルを置いていたので、湯上りにフロントで、「このタオルしかないのですか?」と水色がネズミ色に近くなったタオルを見せて聞いてみた。比較的新しい白いタオルを選んで交換してくれた。

リネン会社が配達してくるタオルを、色も、色あせも、材質も、大きさもいっしょくたにして、適当に客室係が部屋に置いているのだろう。劣化し過ぎて、客に出すに忍びないタオルだと客室係が感じたら、マネージャーに進言すべきなのだが、そうならないのはビッグモーター化?あるいは、客室係は自宅でこんなタオルを使っているのだろうか?

なお、チェックインの際、浴場には部屋のタオルを持参するように言われた。二泊目のタオルは白かったが、縮んでおり、おまけに畳に直に置かれていた。潔癖症の自分は、旅になど出ず、自宅で地べたに置いたりしないお気に入りのサイズ、吸水性のタオルで入浴すればいいのだろう。が、宿泊を生業とし、十分すぎるほどの対価を要求しているのだから、やはり最低限の配慮は欲しい。

 

海外なら、ベッドスローという長い布がベッドの足元近くに掛けられていることがある。この布は、靴を脱ぐ習慣のない人が服のまま、靴のままベッドに横たわる際、シーツが靴で汚れないようにするためだという。この履いたままの靴を乗せる布の上に、わざわざたたんだタオルを置いている施設が日本にも海外にもある。洗面所のタオルハンガーにかければ済む話なのに。

 

温泉

自分には温泉の良しあしを判断するには知識がなさすぎる。が、湯舟の広さや湯の温度、洗い場と内風呂、露天風呂の配置の動線に無理がないものがいい。開閉する扉が重すぎて、裸足を傷つけるのではないか、と怖くなる浴場もある。

シャワーは洗いやすい高さにお湯の吹き出し口があるか、お湯の強さは適当か、なんて気にせず自然に使えるのが良い設備なのだろう。使い勝手が悪いと記憶に残るものだ。

共用大浴場だから足ふきが共用なのは仕方がない。これがいやなら、自室に温泉が引かれている部屋を選べばいいのだ。潔癖症の者は、サービスしてもらっているのだから、とできるだけ目をつぶらなければならない。

 

バスローブ

大抵サイズが合わない。厚くて、硬くて、重い。吸水性も低い。白が薄汚い色になっているものを置いている施設もある。

バスローブで水気を拭きとるわけではないので、ローブはタオル地である必要はない。入浴後、化粧水をつけたり、髪を乾かしたりの身繕いしている間の着衣としては、薄手の綿のローブが軽くて心地よい。夏に限らず、軽いワッフル素材もいい。成田空港で外国人旅行者用に売っていたガウンやローブとしても使えるヒモつきの綿100%の浴衣もいい。ヒモは、旅館で提供される浴衣の厚手の帯ではなく、同じ布地の紐で十分。これなら、ローブと一緒に洗える。洗濯に必要な水や洗剤、光熱費も節約できるだろう。

ちなみに、高級旅館でも寝巻用の帯は、毎回洗濯しているわけではなさそうだ。前の宿泊客が鼻をかんだ手で結んだ帯かもしれないと思うと、気持ち悪い。

ま、そんなことを言い出すと、テレビのリモコンからドアノブからあらゆる手に触れる場所を自分で消毒して回らなくなり、宿に泊まること自体がストレスになる。

 

トイレ

もう20年以上、トイレが共用の宿には泊まっていない。若い時は共用部の多いペンションでも気にならなかったのだが。少し値段が高くても旅館ならトイレ付の部屋を選ぶ。ホテルは、たとえユニットバスでも自分用のバストイレ付きでないと気持ち悪い。

旅館の自室トイレに、引き戸ではない、手前に引く扉を開け、足元にトイレ用スリッパを見つける瞬間、毎度のことながらうわっと思う。まず、今履いているスリッパを扉の開閉の影響を受けない、ちょっと遠い場所に脱いで、それからトイレ内のビニールのトイレ用スリッパに履き替えることになる。トイレ用スリッパは消毒してあるのだろうが、保証の限りではない。前の客に座って用を足さない男性客がいたとしたら、尿はトイレ内のあちこちに飛び散っている。こうなると、自宅に引きこもっている方がストレスが溜まらない。繰り返す。鷹揚でないと旅には出られない。

 

枕元の照明

洋室ならベッドの横にサイドテーブルがあり、照明器具がおいてある。狭いビジネスホテルでは、場所を取らないようベッドそのものに照明器具がビルトインされている。

問題は、和室に布団のケース。

もう10年近く前になるが、長野県松本市郊外の高級とされる扉温泉明神館で、畳に敷いた布団の横に置く照明器具を求めたら、小学生の勉強机に使うような横長の白色灯のシェードが金属製の照明器具を持ってきた。和室用の高さ30センチほどの白木や竹でできた照明器具は、ヤマギワ電気にいけば何十年も前から販売している。今ならネットで「和風照明器具」と検索すればより取りみ取り。電気のない時代でも行燈、というものがあったはず。

加えて、「高級旅館」明神館の従業員が、靴を脱いで畳の部屋に上がってきた途端、足なのか靴下なのか強烈な臭いをしたのは、冗談を通り越し、悲しくなった。改善されたことを祈る。

 

十津川村のホテル昴のことに何度もふれるのは、ほんの2か月前の滞在だからだが、期待度が高いことも理由だ。ほんの少しの工夫と努力で、山奥の、迂回してでも行ってみたいホテルになるポテンシャルがある

昴の提供された和室には枕元照明がなく、フロント係は何とか木製の照明を探してくれた。が、残念なことに手元にスイッチがなく、プラグを抜き差ししないと点灯、消灯ができない。布団を自分でプラグのそば、すなわち部屋の端に引っ張っていった。でないと、天井のまぶしい白色蛍光灯を消すために部屋の入口近くのスイッチまで歩き、暗い中わずかな非常灯を頼りに(あるいは自分でスマホのライト機能を使って)布団に戻るしかない。夜中に手洗いに行くのも、不便。非常用の懐中電灯で代用しようと枕元に置こうとしても、なぜか壁からはずれなかった。

和室の場合も洋室のベッド横のように照明設備とスマホの充電用電源を用意する配慮が欲しい。客を泊める、ということは、こうした細かい配慮が必要だということがわかっていない宿が結構多い。一番配慮が行き届いているのは、大手ビジネスホテルチェーンかもしれない。狭い部屋に、コックピットのようにすべての機能を凝縮させている。アパホテルは社長の帽子とその旦那のむき出しの嫌韓嫌中姿勢は苦手だが、ホテルとしてはよくできているようだ。

従業員の足が臭かった明神館は松本からバスに揺られるのだが、松本市内にあるホテル花月は、ビジネスホテルよりずっと部屋も広く、夕食のテロワールと称するフレンチは美味しく、朝食ビュッフェも行き届いたメニューの素敵な老舗ホテルだった。地元の作家による食器もおしゃれ。地下には浴場もある。何度も泊まったが、多分私にとってこういうサイズ、料金、料理の質のホテルが一番満足度が高いのだと思う。

 

滞在して泊まるということは、客は全身をその施設にゆだねるということ。食事だけなら、感じる部分はテーブル、食器、ナイフフォーク、箸、ナプキン、そして手洗いで、滞在は2―3時間程度に限定される。宿となるとたとえ一泊だけでも20時間近く、客の生活習慣や好みと、施設が提供するハードやソフトが対峙することになる。浴場も寝具も肌を直接つける設備である。長時間にわたり、客は全身で宿泊施設が提供する心遣いを感じるのだ。

 

最後に、良くも悪くも記憶に残っている国内のホテル、旅館のいくつかへのコメントを記しておく。扉温泉明神館、松本花月ホテル, THE HIRAMATSU軽井沢御代田は上記の通り。

十津川村ホテル昴

何度も言及したのは期待値が高いから。文字通りド田舎なのに、腕のいい料理長を誇れる第三セクターの宿。雑巾タオルと照明器具さえ改善すれば評価はドンと上がる。ちなみに寝具は大変気持ち良かった。

星のや軽井沢

残念ながら料理は美味しくなかったし、バリアがいっぱいの部屋の構造も不可思議。動線も複雑で居心地はよくなかった。

界アルプス

同じ星野グループ運営。地元食材を使っていたが、料理ははっきり言って不味く、案内の若い女性は感じが悪かった。真冬に浴場にいくのに、一旦部屋を出て寒空の中、別の棟に移動する必要がある。余談だが、マッサージを頼んでノックされた扉を開けたら、若い凄いイケメンが立っていたので、ちょっとドギマギした。

強羅花壇

料理は最高に美味しかった。が、チェックイン手続きを済ませて、部屋に案内してもらおうとすると、男性従業員が担当の女性の仲居に耳打ちし、何やらもめている感じだった。客の私たちが問題なのかと不安になった。

ザ・ウインザーホテル洞爺

客の面前での従業員同士のコソコソ話といえば、このホテルの朝食受付の若い女性二人がひどかった。業務連絡でもなく、客の私についての品定めに思えて非常に不愉快だった。フレンチの夕食もコクがなく、温泉は3時過ぎにチェックインしても5時からしか使えない。しかも部屋から大浴場に行くには、上り坂の廊下をふくめ10分近く(!)かかるのである。11月下旬の北海道廊下は寒い!

修善寺あさば

温泉利用時間の遅れは、この有名旅館でも残念だった。完全なお湯の入れ替え日に当たったらしく、この点は衛生上の理由だから大目に見てあげたいが、チェックインの際にお湯張りが遅れていることに注意喚起がなかった。浴場にむかったのは4時頃になっていたが、半分位しかお湯が溜まっていなかった。高額の部屋の担当者は和服、そうでない(と言っても高いのだが)部屋係は昭和の地方銀行のような制服、という階級意識

料理は珍しい食材を丹精込めて提供されていて満足。最後に出された大粒のいちごの甘みに感動。いちごは色、形は出色の果物だが、糖度が高いとされる「あまおう」ですら甘みに欠けると思ってきた。相当品種改良しているのだろうが、こうした非日常の食材に出会えるのも高級旅館、レストランを試す妙味ではある。

有馬温泉月光園

近畿地方の会社の慰安旅行に使われていたのだろう。今時全室喫煙可。禁煙部屋の設定がない。それでも、そこそこ評価の高いホテルになっているらしい。部屋が広いのは慰安旅行で8人とか10人とかを布団を並べて詰め込むため。一人当たり料金は割安になる。大人数の全員がタバコを吸うこと何十年、染みついたニコチンの臭いは、消臭剤や空気清浄器を使っても消えるものではない。JR東日本の「大人の休日倶楽部」の「贅なるひととき」と銘打つ旅行に参加したらこの宿だった。今時、全室喫煙可、禁煙部屋の全くない宿を「厳選」するなんて・・・

白馬村ラネージュ東館

月光園の嫌な思い出を打ち消すために、最後にもう一度泊まってみたい宿を上げておく。適当な広さで、水回りはen-suite。夕食も朝食も最高だった。やっぱり宿は企画旅行のお仕着せのものではなく、自分で選ぶものだ。次に泊まる時は、前日に電話して枕に色物のクッションを並べて置くのは辞めて欲しい、とお願いしよう。

ラ・ネージュ東館の枕に重ねられたクッション。

(2023年7月31日記)

 

福生(ふっさ)市―横田基地の街に行ってきた

東京の基地の街

周りに誰も英語を話す人がいなかった半世紀以上も前の大阪の高校生時代。生きた英語学習についての断片的な情報の中に、早口のFar Eastern Network (FEN)を必死になって聴く、というものがあった。残念ながら関西でははっきりと受信できなかった。上京してラジオをチューニングして初めて、これか!と。米軍基地に住む米国人向けの放送だった。

 

沖縄本島の約15%が基地の沖縄を比べるべくもないが、岩国、三沢の他、東京にも基地はある。大統領はじめ、米国政府高官が日本を訪れる際は、成田や羽田ではなく、横田基地に着陸することがある。日本が敗戦国であることと東西冷戦の名残を思い起こす瞬間だ。

 

横田基地の最寄り駅はちょっと面白い読み方の福生(ふっさ)。周辺の行政区の名前は福生市。花粉が終わったら行ってみたい場所のリストに入れておいた。

 

6月9日、「午前中は雨だが、午後には回復する」という予報だったので、洗濯を済ませて午前10時過ぎに福生に向かった。梅雨の季節は外出には向かないかも知れないが、猛暑よりましだ。小さなマイボトルに冷たい麦茶を入れて長靴を履いて出発。

 

「スチューベン・オータマ」の絶品ドイツ料理

11時半過ぎにJR青梅線福生駅に着いた。まずは腹ごしらえ。事前に調べておいたドイツ仕込みのハムやベーコンを製造販売する「大多摩ハム」の2階にあるスチューベン・オータマでランチ。

 

これが絶品だった。定食には必ずスープとサラダが付いてくる。スープはミネステローネ風。キャベツ、玉ねぎ、トマトと野菜のうまみが詰まっていた。大多摩ハムの自家製ベーコンもダシとして使われていたのかもしれない。

 

メインは1日限定15食というロールキャベツを選んだ。ハムとベーコンのカツレツとの間で迷ったのだが、自分で料理をするとき、揚げ物より煮込み料理の方が難易度が高いので、ロールキャベツにした。

 

焼いたソーセージは最初から選択肢に入っていない。和食の定食屋で刺身定食を頼む人がいるが、理解できない。本マグロ、中トロ等の旨い刺身の盛り合わせをスーパーで買ってくれば、家でも贅沢できる。外食ではプロの料理人が手間暇をかけた、付加価値の高いメニューを選びたい。

 

選択に間違いはなかった。さすがプロ。大きな塊がデンと鎮座し、キャベツはトロトロに煮込まれている。キャベツの中の合い挽き肉を自分で一口大に切り、キャベツとソースを合わせ、絶妙の塩加減、油気のバターライスと一緒に口に入れる。キレイに平らげた。孤独のグルメの主人公ならなんと表現するのだろうか?唯一の失敗はロールキャベツのソースが最初のスープと同じ味だったことだ。

 

余談だが、キャベツが柔らかくてナイフで切る必要がないのは、日本の春キャベツだからだと思う。ヨーロッパの芽キャベツなんて、「芽」だから柔らかいのだろうと思ったら騙される。煮ても焼いても石のように固かった。細かく刻んで煮込んで酢漬けにしたザウワークラウトは、保存の意味もあるのだろうが、あの硬いキャベツを柔らかくする工夫ではないかと想像する。

 

こんなに美味しいのなら、お手頃価格のフルコースを選ぶべきだった、と後悔したが、ロールキャベツはコースメニューに入っていなかったので、この選択で良かったと言い聞かせた。テーブル脇には、デザートも全て自家製とあった。アイスクリームはバニラかマスカルポーネの2種類。バニラならハーゲンダッツや、新幹線の車内販売のスジャータでも十分美味しいので、マスカルポーネにした。これも濃厚で絶品だった。

 

腹ごしらえしたところで、福生の街に出る。レストランの女性が親切にアメリカっぽいところへの道順と、電車で来たのなら福生駅以外にも歩いて行けると教えてくれた。

 

多国籍の風情

タイ料理、ペルー料理、インドカレー等々多国籍のレストランには、外国人客の姿もちらほら。通行人にも基地の人かな?と思う人がいる。昼間なので、バー、ナイトクラブと思しき店は閉まっている。夜にはネオンが輝き、ちょっと猥雑な雰囲気になるのだろうか?

東京環状(国道)に突き当たると「U.S. AIR FORCE Yokota Air Base 横田基地」と大書されたゲートが現れた。バギーを押す女性がゲートからこちらに向かってくる。六本木の米国大使館員の宿舎とよく似た雰囲気だ。日本にあって日本でない。

横田基地から出てきたバギーを押す女性

 

国道沿いにあるアメリカっぽい店はもっぱら古着と雑貨。スニーカー、Tシャツ、ショートパンツ等、自分の好みではない品々なので、数軒ウインドー越しに眺めただけで都心に近い駅の方向に歩き始めた。

 

基地の外の福生の街に根を下した外国人が結構いる

幹線道路の国道は車の騒音や排気ガスの臭いで快適ではない。 一本中に入った「わらつけ街道」と呼ばれる道を歩く。レストランで見かけた外国人がいかにも米軍人とその家族らしかったのに、この街道ですれ違う外国人は米国から来たアフリカ系の人というよりも、フランス語を話すアフリカ系の人が目立つ。軍関係者なら髪を短く刈り込んでいるはずだが、そうではない。アフリカの民族衣装のようなものを着ている人もいた。自転車に乗っていて、福生の町で生活していると感じさせる。4-50代の普通の髪型の男性が、若いアジア系の女性と日本語で「学校は?」なんて話していて、不思議な感じがした。軍の人ではなさそう。

 

わらつけ街道は車の対面通行が可能なのだが、狭くて、日本人女性と思しき人の運転する軽自動車が通行人の私が通れなくなるほど道路の端によって来るので、のんびり散策という気分ではない。ところどころ、全く舗装されておらず、大きな水たまりができた砂利の私道っぽい道路が街道脇にある。昭和30年代!もっとも、5月に1時間以上かけて歩いた都心の神楽坂、飯田橋界隈も舗装されていない細い私道があちこちにあった。

 

牛浜駅を見過ごしてしまい、拝島駅を目指したので、結構な距離を歩くことになった。平成30年築の都営住宅が並んでおり、公開空地の「申請者 東京都知事 小池百合子」という掲示板が出ているが、外国人にすれ違ったのはこの都営住宅周辺が一番多かったような気がする。

 

拝島駅らしいものが数百メートル先に見えてきたが、道路やトンネルが交差しており、駅への近づき方がよくわからない。前方から歩いてきた女性に「拝島駅にはどのように行くのですか?」と聞く。多分フィリッピン人だと思われる女性は、日本語で、トンネルを抜け、ファミマや公園を目指していく、と親切に教えてくれた。基地の将校のメイドさんなのかなとも思ったが、東京のど真ん中の六本木で出会う、駐在員や大使館員の元ではたらくメイドさんたちはほとんど日本語を話さなかった。道を教えてくれた女性は日本人男性と結婚した人かも知れない。

 

拝島駅はJR青梅線八高線五日市線が合流する駅だ。首都圏は東海道線や中央線のような幹線以外に、JR南武線横須賀線等々鉄道網が広がっている。そんな東京の郊外で、日本での生活に腰を落ち着けた、基地の人とは思えない何人もの外国出身者に出あったのは、ちょっとした発見だった。こういうラッシュアワーを避けた、公共交通機関を使った小さな日帰り旅は楽しい。猛暑が始まる前にもっと行きたい。

 

辞めて欲しい、エスカレーターの一列並びと駆け下り、駆け上がり

もっとも通勤時間を避けた首都圏の公共交通機関の便利さを痛感しながらも、毎回うんざりすることもある。立川駅なんかは乗降客が多い。ストレスが溜まるのは、エスカレーターの1列並びとその横を駆け上がる人だ。

 

ひろゆきとかホリエモンのような有名人が、エスカレーターで一列に並ぶために長い行列を作っている日本人を「頭が悪い!」とツイッターで断罪していたのを思い出した。エスカレーターと階段が並んでいても、階段ではなくエスカレーターの右側を駆け下りたり駆け上がったりする人がいる。「エスカレーターは歩かず、二列に並んで立ち止まり、手すりを持って(コロナが流行ろうが流行るまいがさわりたくないが)」と放送している鉄道会社もたまにあるが、ほとんどの鉄道会社は「二列で静止」を徹底する気はなさそうだ。歩行者も面倒を起こしたくないから、根気よく左側(これが大阪になると右側になる)に並んでいる。歩きスマホしているからゆっくりでもいいのだろうが、本当に意味のない慣行だ。

2023年6月13日記

いざ十津川村へー自分の足で動き回れる時間、旅行に向いた季節は限られている

ゴールデンウイーク明けは、花粉症からの解放

まだ少し鼻がムズムズするし、くしゃみも出るが、スギの季節の猛烈な目のかゆみはない。

6月になると梅雨、その後の猛暑は9月の終わりまで続く。1年の内で旅行に適した時期はそれほどないのだ。

さあ、飛び出そう、と奈良県十津川村へ2泊3日で行ってきた。昔からずっと行きたいと思っていたところだ。東京からである。

 

楽天トラベルを利用したのは、楽天モバイルを応援したいから

以前はじゃらんや一休(ヤフートラベル)で宿を予約していたが、今回初めて楽天トラベルを利用した。値段は他のサイトでも変わらなかった。が、心情的に楽天グループを応援したい気持ちがある。

楽天の携帯事業が大赤字だそうだが、これまでソフトバンク(=ヤフー)の携帯やルーターサービスに散々ぼったくられてきた(「トクトク詐欺」と呼ぼう)ので、もうヤフートラベルは使いたくない。ソフトバンクなのに時にヤフーと名乗ったり、ヤフーカードをペイペイカードと呼ばせてみたり、買収した「一休」の名称を相変わらず使ってヤフートラベルとの関係を曖昧にしたり、ヤフー、ソフトバンクグループの「目くらまし作戦」がどうしても好きになれない。

宿泊予約もヤフーカードやペイペイを使わないと割引対象にならない。

 

2年前にスマホソフトバンク(Ymobile!)からドコモ(ahamo)に変えたが、3大キャリアの中で通信網が一番充実しているはずなのにデザリングが全くできなかった。何度も相談したが、埒が明かず、楽天の携帯に乗り換えたのが昨年7月。乗り換え当初は若干のトラブルはあったが、楽天リンクアプリでは通話し放題だし、自分の行動範囲で繋がりにくいと感じたことはない。

千葉県ではソフトバンクの携帯では家の二階に行かないと通話やネットができなかったが、楽天は自社の通信網が十分でない場所ではauの回線を使っており(楽天auに使用料を払っているのだろう)、階下でも問題なく通じる。

 

これまで使ったことのあるソフトバンク(Ymobile!)やドコモと比較して、楽天が一番便利で安価だ。1か月3GBに抑えれば通信料は1000円ちょっと。20GB以上の無制限になっても3000円ちょっと。ドコモのahamoでは利用ギガが少なくても、一律使い放題プランの料金が適用され、毎月3000円以上払い続けてきた。なのにデザリングはできなかった。皆さん、楽天を応援しよう!

 

が、あの携帯基地局建設をめぐって、98億円も夫婦で詐取、横領した佐藤某とかいう元部長に対する楽天経営陣の監督不足は容赦できない。元部長夫妻は、ランボルギーニルイ・ヴィトンしかお金の使い道が思いうかばなかったのだろうか?経済犯罪は殺人などより刑事事件としては量刑が少ないらしいが、民事では夫妻で一生かけて98億円にペナルティを加えた全額を会社に返済させないと。ばれないと思った段階で夫婦そろってでアホ。

 

旅行の話が携帯キャリアの話になったが、楽天au回線との提携のお陰で山奥の十津川村でも通じた。

 

長年の十津川村への憧れ

なぜ行きたかったかというとエライ山奥にあるからだ。

幼いころ、春休み、夏休みはいつも吉野郡吉野町の母の実家に連れていかれた。トイレが暗くて怖く、田舎のばあちゃんが炊いてくれたコメは柔らかすぎたが、それでも大阪の都市部では味わえない「ふるさと」であった。

 

そんな田舎の吉野郡吉野町より更に山奥に「十津川村」がある、一体どんなところだろう?と半世紀にわたり行ってみたいと思い続けてきた。

「吉野郡十津川村」だから、奈良県の面積の半分以上をしめる吉野郡(吉野五條地域で64%)
の、そのまた3分の1くらい(県全体の18.2%)をしめるのが十津川村なのだそう。

 

最寄りの鉄道駅からバスで4時間揺れてようやくたどりつけるという「秘境」だ。豪雨で道路が遮断された、というニュースも神秘感を盛り上げる。

自分は東京から一旦京都に行き、それから十津川村へ、となるから遠いのだが、京阪神在住で車を持っている人なら、大阪から東に向かう、あるいは和歌山から北に向かえば、数時間のドライブ。東京から長野県白馬村に行くような感じだ。

 

行きは関西の拠点にしている京都から近鉄電車を乗り継ぎ、最後はJR和歌山線の五條という駅から奈良交通のバスに乗った。これがバスの乗車時間が一番短いルートだ。数時間の行程でもICカードが使える路線バス。病院に通う高齢者乗客も乗っている。2度ほど休憩が入る。運転手さんの休息が大事だ。乗客の命を預かっているのだから。五月中旬の新緑が目に染みる山あいを、青い十津川に沿って蛇行する道を丁寧な運転とアナウンスで進んでいく。

 

ワンコとの旅行――奈良交通さん、ありがとう!

事前に奈良交通の運行約款を調べたところ、ケージに入れた10キロ以内のペットは持ち込み可能だった。

9年間事業を行っていた白馬村では、アルピコ交通がペット同乗不可のため、東京から現地に行くにはずいぶん時間がかかった。北陸新幹線で長野までは2時間ほど、そこから白馬村まで1時間バスに乗れば、結構早いのだが、ワンコ連れではバスに乗れない。新宿発の特急あずさで松本まで、それから先は単線の大糸線の各駅停車で5時間近くかけて行ったものだ。

 

バスで十津川村に行くにはワンコはどこかに預けないと、と思案していた。東京のいつものペットホテルに預けて、奈良で2泊3日するには前後を入れるとワンコを5-6泊させないと難しい。

十津川村行のバスに乗る鉄道駅の近くにペットホテルはないか探してみたら、近鉄榛原駅近くに良さそうなペットホテルがあったが、高齢ワンコは受け入れ不可とのこと。ポチも14歳になった。仮に預かってもらえたとしても榛原―大和八木の往復で2時間近くロスをする。十津川村へのバス便は1日1―2本しかない。

 

京都のペットホテルは異常な高額

京都で預ければいいはずなのが、これが軒並み一泊8800円。文字通りぼったくり。人間のビジネスホテルより高い。

数年前まで、京都は(人間の)宿泊施設が足らず、春の桜、秋の紅葉の時期、宿は強気の価格設定ができた。ブルーオーシャンの時代だ。それが、コロナ前に相当数の新規ホテルが開業し、特定の高級宿、個性のある宿でもない限り、価格競争は免れない。レッドオーシャンになったのだ。

京都のペットホテルも今は地元の事業者だけで高額だが、そのうち首都圏のペットホテル業者が乗り込んでくれば、値下げ競争になるだろう。

そんなわけで、奈良交通様様である。十津川温泉の停留所で出会った運転手さんは、柴犬好きだそうで、「犬をなでていると、運転の疲れが飛んでいきます」と嬉しいことを言ってくれた。

 

泊まろうと思ったホテルにペット用の小屋があった幸運

加えて、十津川村第三セクターが開発した、そこそこのランクの「ホテル昴」は冷暖房完備のペット小屋が用意されていた。奈良交通とホテル昴がペットフレンドリーなお陰で、私の十津川村のワンコ連れの旅は実現した。

なお、ホテル昴の料理と器は、山奥とは思えぬほど洗練されていたが、バスタオルが雑巾のように薄汚かった。このことは別のエントリーで詳述する。

 

2泊3日の行程

到着の日はひたすら電車とバスに乗っていた。蛇行する川に沿って縫うようにバスは走る。山あいの道路整備はもちろん、水力発電ダム、護岸工事、普通の橋に吊り橋と日本の土木技術のモデルケースが次々と現れる。公共事業が無駄なはずはない。課題は人口減少、過疎化の中で、作ったものをどう維持管理していくかだ。

休憩のために多分奈良交通が設置したと思われるトイレは清潔!ウオッシュレットが付いている。小学生の時の母の実家吉野でのぽっとんトイレから半世紀以上。昭和の高度成長を山奥で確認した。

 

2日目は丸1日ある。ホテルから果無(はてなし)集落まで、苦手な吊り橋をこわごわ渡り、40分以上の険しい、急な石畳の道をひたすら登ると、天空に絵のような小さな集落に辿り着いた。傾斜地のほんのわずかな土地を平にして水田にし、農家の庭のあやめの濃い紫が映える。頂上の反対側には自動車道が整備されており、車で15分ほどで上がれるそうだが、自分の足で山道を登ってきた達成感。この健脚はいつまで維持できるのだろうか。

 

帰りは自動車道を下るのだが、ホテルまで我慢しようと期待していなかった公衆トイレが集落のはずれにあったのだ。キレイ!張り紙には、何名かの利用者が「ありがとう」と書いていた。私も謝意を書き残した。その数日後、六甲登山口の寺が長年無償で提供していたトイレを撤去したとのニュースを読んだ。利用者のあまりの配慮のない使い方に辟易したからだという。これからも利用者全員がマナーを守り、あのキレイなトイレがいつまでも維持されますように。

 

オニツカタイガーのスニーカー最高

このちょっとした登山を可能にしてくれたのはオニツカタイガーのメキシコ66というスニーカー。決して底は厚くないのに、抜群のクッション性で足裏が疲れたり痛くなったりすることはない。

以前、京都で宿をやっていた時、何人かの外国人宿泊客がオニツカタイガーの靴箱を残していった。当時は今のような円安ではなかったのに、わざわざ日本で購入していたのは、日本なら種類が多いからか、海外では関税が課されて割高になるからだろうか。

コロナ後のインバウンド客再開で、渋谷や銀座のオニツカタイガーのショップは外国人客で一杯だ。軽くて、クッション性、デザイン性に優れている。牛革製で円安なら益々納得の価格だ。

 

2日目の午後はワンコと十津川村の温泉街まで往復した。ホテル昴は温泉街から少し離れているのだ。バスも通る、住民の生活道路の端をワンコが飛び出さないよう気を付けながら歩いた。荒物屋や自動車整備工場もある。村民の生活をほんのわずかだけ垣間見たような気がした。

 

3日目は京都に戻る日

宿の観光案内には、1時間足らずバスに乗れば、和歌山の熊野本宮まで行ける、とあった。熊野古道のポイントのひとつでもある。せっかくだから行ってみることにした。

十津川村とは打って変わって、それなりの観光地だ。立派な観光案内所もあるし、十津川村ではたった一人しか遭遇しなかった外国人観光客も結構いた。本宮の立派な鳥居より、田んぼの中にすっくと立つ木製の鳥居が印象的で、来てよかったと思う。永平寺にワンコ連れで行った時も同じ経験をしたが、神社仏閣の境内にはワンコは入れない。ケージに入れて砂利道を進むのも難儀だ。

結局境内の周りをウロウロするだけだったが、奈良から山奥の県境を越えて和歌山に入ったことで達成感を感じた。

 

戻りは近鉄大和八木駅まで5時間ほど。奈良交通の運転手さんは、和歌山県の新宮という太平洋に面した町からバスを運転してきたのだ。まさに一日仕事の長距離バス。午後3時過ぎ、バスが山道を登って着いた先は西吉野農業高校。このバスは学生の足でもある。若い男女の高校生が乗り込んできて、バスは一気に華やぐ。山から下ると、学生たちは次々と下車していった。

4時を過ぎると街中にはいり、交通渋滞が始まった。ホテル昴のフロント係の人が教えてくれた大和八木駅の到着時間を大幅に過ぎていた。運転手さんに聞くと、どうやらホテルの案内が間違っていたようだ。駅には8分ほど遅れて到着した。運転手さんは「遅れてすいません」とアナウンスしている。こんな長距離の路線バスでたった8分の遅れである。キレイなトイレといい、ほぼ定刻の長距離バスといい、日本に生まれて良かった!

和歌山県から延々6時間以上乗ってきたので、運賃は4000円の高額だが、ICカードパスモ)が使えた。数年前、愛知県の明治村に行った時、名鉄バスはICカードを使えなかった。奈良交通、やるのう!

 

母は奈良の吉野から大阪に嫁いだ。明治生まれの祖母も奈良出身で大阪の良く知らない相手と見合い結婚した。父は二言目に「奈良の女はアカン」と自分の母親や妻を貶めていた。炊飯器が出回る前、窯でごはんを炊いてちょっと焦がすと「何年、メシ炊いとるんや!」

父の世代の男性は、奈良の女性に限らず、女性を貶めることが普通のことで、別に都会出身の女性が母親や配偶者だったとしても、同じ対応だったと思う。阪神タイガースファンのくせに、阪神の悪口ばかり言っていたから、父なりの愛情表現なのだろう。ただ、当時住んでいたのは大阪のど真ん中、少しづつビルが建ち始め、地下鉄も開通した。それに比べれば近鉄特急に揺られて行く奈良は間違いなく田舎だった。

自分の父親があしざまに言っていた奈良だが、今回の十津川村旅行で、ペットOK,運転手さんの丁寧な運転と接客、そして長距離でもICカードが使える、の三点ですっかり奈良交通のファンになり、奈良も捨てたものではない!と思った。今の京都はインバウンド客が多すぎる。コロナの真っ最中に、誰もいない嵐山の竹林や伏見稲荷神社の連なる赤い鳥居を満喫したので、京都の観光地はもういい。

 

東大寺春日大社は何度か行った観光地だ。次は、近鉄電車と奈良交通のバスで、母の姉が嫁いだ大宇陀郡や、妹が嫁いだ下市口へ行ってみよう。もちろん、母の実家があった吉野神宮も。

 

大和西大寺駅―安倍暗殺

大和八木駅から京都に戻る途中、大和西大寺という駅がある。東西に大阪と奈良を結ぶ近鉄難波線と、南北に京都と奈良を結ぶ近鉄京都線が交わる駅だ。1年近く前、安倍さんが山上徹也に暗殺された場所を車窓から眺めた。奈良県でも有数のターミナルだと、事件の際報道されていた。

山上徹也は奈良の公立進学校奈良県立郡山高校出身。

 

岸田文雄、岸田翔太郎という政治家を家業とする一族のバカな写真が流出した。

安倍晋三の祖父、岸信介統一教会創始者文鮮明と握手するツーショット写真がある。その時代の「反共」「勝共」という選択肢は日本国、日本人にとり間違っていなかったと思う。が、安倍晋三文鮮明の妻韓鶴子に「敬意を表する」と述べたビデオメッセージは、統一教会が行ってきた悪行を想起すれば、国を、国民を思う政治家がやるべきことでは決してなかった。

安倍さんは「美しい国」などときれいごとを言いながら、このメッセージで日本国、日本人を貶めたのである。孤高のテロリストの凶弾に倒れる原因を自ら作ったと私は思っている。

 

2023年6月3日記

ジャニーズ事務所元社長の性加害、市川猿之助セクハラ、パワハラ報道――男児だけでなく、少年、成人男性も被害者になることを前提として社会を構築し直さねば

ジャニーズ事務所も歌舞伎界も同じジェンダーの役者、タレントが芸能を披露する。

スポーツは男女で体力差があるから、男同士、女同士で記録を競うのは説明がつく。が、歌舞伎も宝塚もなんで男が女形を、女が男役を演じなければならないのだろう?不自然に思えるが、人類の歴史において男女が別々に生活し、それぞれ「〇らしい」とされるの文化をはぐくんできた期間の方がずっと長い。

 

奈良室生寺は、女人高野と呼ばれ、女性も入山できたので(昔は)珍しいとされていた。今日でも女子の教育を容認しないイスラム世界もあり、宗教は男女分離、差別と親和性がある。

 

男ばかりで生活すると、美少年に萌える人も出てくる。

膨大な数のカトリックの男性聖職者たちによる、膨大な数の幼い男子に対する性的加害は、キリスト教世界を震撼させるものだった。20世紀の後半に明らかになったが、ずっと以前からあったのだろう。

日本の武家社会の戦の最前線は男ばかりだから、男色も日常的だったと想像する。

大日本帝国軍部は、部下への暴力や捕虜への虐待で悪名高いが、性的加害がなかったと思う方が難しい。

 

そういえば、外務省でヨーロッパとの経済関係を担当していた頃、フランスにクレッソンと言う名の暴言女性閣僚がいて、対日貿易赤字で日本のことをボロクソに言う人であったが、英国に対しても「ホモの国」みたいな発言をして物議をかもしていた。男子ばかりの寄宿学校で過ごす英国貴族社会の伝統を揶揄したものらしい。21世紀ではおよそ許されない発言だ。

女性同士の性愛においても加害行為というものがあるのだろうか?

「女児にわいせつないたずらをして中年女性を逮捕」

というニュースは耳にしたことがないが、男児や女児にいたずらをするオッサンの圧倒的な多さの影に隠れているだけなのかもしれない。

 

猿之助一家心中(?)事件が毎日ワイドショーを賑わす中、5月大歌舞伎を観に行った。歌舞伎に詳しいわけでもないが、わかり易いコメディ調の演目もあるし、踊りが入ると華やかで不勉強でも楽しめる。

 

5月の昼の部の花形は、市川團十郎(以前の海老蔵)の「若き日の信長」と寺島しのぶの息子、というか尾上菊五郎藤純子の孫息子、尾上真秀のお披露目演目ヒヒ退治。

 

團十郎は超美形で声もいい。信長、と言えば森蘭丸。歌舞伎でも武家(男社会)でも男色は公然の事実だったのだろう。

フランスの生んだ美男俳優アラン・ドロンは、男性映画監督に引き立てられスター街道まっしぐら、という噂があった。

 

ジャニー喜多川の若い男の子に対する性愛pedophileは、半世紀にわたり何度も週刊誌で報道されてきた。

市川猿之助の一家心中の引き金となったかも知れない女性週刊誌の記事は、猿之助の周りの男性(成人男性らしい)に対する異常なスキンシップ要求と、それに応じないと干される、という、同性間の、力関係を悪用した典型的なセクシャルハラスメントを伝えている。

 

前回の山口真由さんのシングルマザーになる決意について書いたことだが、自分ひとりなら世間様の期待を裏切る道を選ぶのは(自我の確立した人なら比較的)簡単だが、親が子供の選んだ道を嘆くだろう、という思いは相当なブレーキとなる。

 

 

猿之助もひとりなら「俺が一座の大将。これで、歌舞伎の一門を引っ張ってきたし、今後もこれで行くんだ。何が悪い」と突っぱねることはできても、高齢の両親には見せたくない記事だったのだろう。

 

それにしても両親だけ亡くなり、猿之助本人だけが「死にきれない」とはみっともない。自殺ほう助なのか、承諾殺人なのか?そういえば東条英機も自害に失敗。覚悟を決めた大将なら一発で決めるものだ。知らんけど。

 

人類の長い歴史の中で、異性間の愛を高らかに歌い上げるかたわらで、同性愛はずっと封印されてきた。おそらく「カミングアウト」した人は氷山の一角で、自覚していない人も含めれば相当数の同性愛者がいるという前提で、社会の仕組みを組み立て直す必要があると思う。

 

思えば、自分の息子が幼い頃、ネットで調べた小学生のキャンプやスキー旅行に、何の疑問も抱かず参加させたが、親としては本当に無責任であったと猛省する。ジャニー喜多川のような性向の人がキャンプの主催者だったかも知れないのだ。

 

酔っ払いや与太者によるケースはもちろん、教師や養父(おぞましいことだが実父も)による女子に対する性加害行為の恐れは、大抵の親は頭の片隅に抱いていると思う。「女の子だから、気をつけないと」。

男性も幼少期や少年時代は保護の対象であり、職場においては成人男性も被害者になりうることに社会は無防備、無知すぎた。

 

2023年5月31日記

 

 

山口真由さん妊娠ニュースーーーおめでとう!

ニュースではしばらく休業する、父親については言及なし、かつて卵子を凍結していると述べていたことがある、等を伝えている。やったね!真由さん。

こういう人から先鞭を切らないと。

 

いわゆる「未婚の母」になった有名女性がいる。

加賀まりこ

残間里江子

俵万智

 

いずれの女性も財力がある。

結婚せずに母となっ理由は、

夫はいらないけど子どもは欲しい、なのか

夫になって欲しい相手はいるけど、事情があってかなわない。なら一人で子どもを産む、なのか

知らないけど、しっかり生み育てているのだろう。少なくとも三田佳子の次男のような報道はない。加賀さんや残間さんの時代は、少子高齢化が騒がれる前だ。俵万智さんの頃はそろそろ少子化が心配される頃だったか。

 

シングルマザーが生んだ子ももちろん、統計上合計特殊出生率や日本の人口にカウントされる。保守的な政治家は決してシングルマザーを奨励しない。多くの日本女性もまず結婚して子供を授かる、という順番にこだわっている。

 

私は妊娠、入籍、出産という順番だった。44歳での出産だった。30代後半(今の山口さんのように)には、子どもを無事に生める期限も迫ってきているので、シングルマザーの可能性も頭をよぎったことがある。やっぱり自分には無理だ、と思ったのは世間がごじゃごじゃ言うから面倒、ということもあったが、それよりも昭和の価値観を疑うこともなく生きてきた両親が困惑するから、という懸念の方が大きかった。

 

私より2周りほど年上の女性から、両親が無くなってから離婚に踏み切れた、と聞いたことがある。「世間」が何を言おうが関係のない他人など無視すればいい。が、両親がぐじゃぐじゃ言うと顔を合わせる身内だけに鬱陶しい。結婚、結婚と言われて鬱陶しく思っている女性は多いはずだ。親のご希望に応えて結婚し、次は「子どもはいつ?」と無邪気な質問を繰り返され、離婚の際も親のことを気にすることになる。親子間ハラスメントもあるのだ。

 

山口さんも色々な葛藤があったのだろうが、多くの高学歴、高収入女性が彼女に続くことを祈る。「みんなで渡れば怖くない」。

 

彼女がテレビコメンテーターとしてどのような立ち位置にあるのか、特に関心もなかったが、たまたま最近三浦瑠璃とかいう人の夫が逮捕された、というので東大卒の女性コメンテーターについて比較する記事を目にした。三浦瑠璃の上から目線に対して、自身の弱点も晒す山口さんに好意的な記事だったと記憶している。

 

三浦瑠璃は国際政治学者だというのだが、「ふーん、そうなの?」というのが正直な感想。あんな嫌味なしゃべり方をする人がテレビに出演できるのも理解できなかった。この人が出てくるとチャンネルを変えたものだ。豊田真由子とコロナの女王岡田晴恵についても、同じ感想。テレビを切って別のことをするきっかけを作ってくれた。

 

山口さんの出発点は勉強法についての本だ。Kindleなら場所を取らず、読了後も処分に苦労することもないからと、結構沢山の本を読みあさっていた頃で、もう勉強法など習得する必要もないのに、興味本位で買ってみた。自分も、高校受験、大学受験、外交官試験、一発勝負の試験には強い方だったが、山口さんは東大を首席卒業。普段から勉強が全く苦痛ではない人だったのだろう。同じ本を7回読む、たって、そんなことできない人が大半だろう。何度読もうが理解できない部分はあるのだ。

 

その後、テレビで見かけるようになり、ルックスも良く、たまにトンマな発言もし、高学歴女子の悩みを吐露した記事がヤフーニュースに流れてきたりして、好感度は悪くなかった。東大のスポーツクラブのマネージャーを務めるからには、女子力もあるに違いない。

 

三浦瑠璃が20代で東大出身者と結婚し、子どももいて、自民党政権中枢とも近い、となるとやっかむ人も多いのだろう。山口さんは、テレビで結婚していないことを自虐ネタにしていた。一人でこどもを生み育てる、という選択をした。私の中の彼女への好感度は更に上がった。無事に出産されますように!

 

(2023年5月3日記)

橘玲「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」を読んで

新刊書をコーヒー一杯で速読する方法

読みたい新刊書は、スタバ併設のTSUTAYAでざっと読むことにしている。

本は買ってメルカリで売れば、定価よりは安く手に入ることになる。が、お金を払って手にした本の内容が期待に反して面白くないと、読了もせずに売るタイミングを逸する。賞味期限が切れた本はなかなか売れない。以前はKindle版を気楽に購入していたが、デジタル版「積読」(つんどく)も、場所をとらないだけで読了していないから、気持ちがいいものではない。おまけに売ることもできない。だから著者や出版社には申し訳ないが、極力買わずに早く読了する方法をあれこれ工夫した。

 

スタバのコーヒー一杯で何冊か速読し、面白くなければ途中で書店の書棚に返却、飛ばし読みでも最後まで読むほど面白ければ万々歳。が、購入することはない。本の内容は自分に必要な部分だけ覚えておく。あの本の自分にとってのメッセージは何だったのかな、と一回だけ思い返すことにする。

 

古い本はBookOffと図書館で

何年か前、ホリエモンの本をBookOffでざっと立ち読みした時、

「大事なのは情報は集めることではなく、集めた情報を活用することである」

という趣旨のことが書いてあり、なるほどな、と思った。ライターがホリエモンが口頭で述べるポイントを、30分程度で読み飛ばせる新書にまとめたものだろうが、「学び」はあった。てか、その本の他の部分は全部忘れた、題名すら覚えていない。

 

新刊書をTSUTAYAで見つけることは簡単だ。古い本はBookOffで目次をみながら内容を想像しながら大急ぎで読むか、図書館で借りる。

 

動物は自分の遺伝子を残すようにデザインされているー橘玲

橘玲氏のマネロンや節税をあつかった小説(「永遠の旅行者」)も面白いが、人類を含めた動物はみな、自分の遺伝子を残すようにデザインされている、という一貫した主張でオスやメスの行動原理を分析する本もかなり納得させられる。

 

最近の新刊書は「シンプルで合理的な人生設計」で、TSUTAYAでざっと目をとおしたが、3分の1ほど読み進んだところ、電車が込み始める時間が近づいたので読了は断念した。

 

橘玲氏の一環した主張

新刊書はこれまでの著作を土台に書かれているようなので、古い本にも目を通すことにした。小説はKindleで買って読んだが、同氏の行動分析の本はあまり読んでいなかったので、区立図書館で過去の出版物を10冊近く手あたり次第に予約した。まず、

 

言ってはいけない 残酷すぎる真実」

「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」

 

を読み終えた。最初の本は新書で、題名通りポリコレに反するもの。

努力は遺伝に勝てない。美醜の格差等々。ーーー身も蓋もない!

ふたつ目の本の方が出版年が古い(2010年)が、同じことをより詳しく述べている。世の中には「やってもできない人」がいる、という厳然たる事実を260ページの単行本で繰り返し繰り返し述べる。多くの文献(特に欧米の研究、調査結果)でこの主張を補強しているが、小難しいエビデンスは不要だ。

この世には、

北川景子のような顔立ちに生まれた女性がおり、

大谷翔平のような身体能力と体格(と親しみやすい童顔)に恵まれた人がいる一方、

そうではないひとが山ほどいるのだ。

 

林真理子日大学長は、橘理論のカウンターエビデンス

もちろん、北川景子大谷翔平も、生まれ持った才能、美貌に後天的な努力と摂生が加わり今日があるだろう。

 

林真理子日大学長なんて、橘理論の見事なカウンターエビデンスではある。決して美しく生まれなかった、決して偏差値が高いとは言えない大学卒で、地方都市の小さな書店の娘が、60過ぎてそれなりにダイエット効果もあり、少なくとももう「ブス」とは言い切れない外見を獲得、何よりも巧妙に時代をとらえた多数の出版物(例:「最終便に間に合えば」「下流の宴」)で、力技で社会的地位をもぎ取った。

 

林学長は自分の性分に合った道を突き進んだ

誰もが、彼女のようになれる訳ではない。

何よりも、彼女は上昇志向が強く、その情念に従って努力することが全く苦痛ではなかったのだろう。私が、外務省でおとなしく、愛らしく振舞い、今頃どこかの一部上場企業の社外取締役のひとつかふたつにおさまりうる属性を意識的に棒にふったのは、そのようなふるまいが性に合わず苦痛だったからだ。主流を歩むより、異端児、一匹オオカミの方が居心地がいい人もいるのだ。

 

性格も遺伝する、と橘玲氏は書いている。

「政治空間」「社会空間」で成功する(競争に勝つ)のに向いた性分の人は男性でも女性でも、そのように振るまうことが無理なく、居心地がいいはず。私は上司、同僚、部下の評価で競争を勝ち抜くより、自分の才覚と創意工夫が結果をもたらす「貨幣空間」(不動産投資やインバウンド客集客)で生き延びる方が性分に合っていたということだ。このあたり、橘氏の本で大いに納得させられた。

ニッチな分野であっても、得意な土俵で勝負せよ、上品に言えば「置かれた場所で咲きなさい」か

 

情報は活用するもの、インプットよりアウトプット

ところで、上述の新刊書、古本の速読方法で述べた、ホリエモンの至言「情報とは集めるものではなく、活用するものだ」は、別の機会にホリエモンより毀誉褒貶が少ない精神科医和田秀樹氏が別の言い方で述べている。

 

やたらと本を読んでインプットに精を出すより、読んだ本のちょっとした感想を書き留めるアウトプットの方が、脳の活性化、認知症予防に役立つ、とのこと。

 


 

このブログも橘玲本を読んだ後、和田先生の助言を実践した感想文である。

(2023年4月2日記)