人生の第三コーナーの衣食住

ライフスタイルブログ:インテリア、家のメンテ、ソーイング、失敗続きのパン作りなどをつづっていきます

福生(ふっさ)市―横田基地の街に行ってきた

東京の基地の街

周りに誰も英語を話す人がいなかった半世紀以上も前の大阪の高校生時代。生きた英語学習についての断片的な情報の中に、早口のFar Eastern Network (FEN)を必死になって聴く、というものがあった。残念ながら関西でははっきりと受信できなかった。上京してラジオをチューニングして初めて、これか!と。米軍基地に住む米国人向けの放送だった。

 

沖縄本島の約15%が基地の沖縄を比べるべくもないが、岩国、三沢の他、東京にも基地はある。大統領はじめ、米国政府高官が日本を訪れる際は、成田や羽田ではなく、横田基地に着陸することがある。日本が敗戦国であることと東西冷戦の名残を思い起こす瞬間だ。

 

横田基地の最寄り駅はちょっと面白い読み方の福生(ふっさ)。周辺の行政区の名前は福生市。花粉が終わったら行ってみたい場所のリストに入れておいた。

 

6月9日、「午前中は雨だが、午後には回復する」という予報だったので、洗濯を済ませて午前10時過ぎに福生に向かった。梅雨の季節は外出には向かないかも知れないが、猛暑よりましだ。小さなマイボトルに冷たい麦茶を入れて長靴を履いて出発。

 

「スチューベン・オータマ」の絶品ドイツ料理

11時半過ぎにJR青梅線福生駅に着いた。まずは腹ごしらえ。事前に調べておいたドイツ仕込みのハムやベーコンを製造販売する「大多摩ハム」の2階にあるスチューベン・オータマでランチ。

 

これが絶品だった。定食には必ずスープとサラダが付いてくる。スープはミネステローネ風。キャベツ、玉ねぎ、トマトと野菜のうまみが詰まっていた。大多摩ハムの自家製ベーコンもダシとして使われていたのかもしれない。

 

メインは1日限定15食というロールキャベツを選んだ。ハムとベーコンのカツレツとの間で迷ったのだが、自分で料理をするとき、揚げ物より煮込み料理の方が難易度が高いので、ロールキャベツにした。

 

焼いたソーセージは最初から選択肢に入っていない。和食の定食屋で刺身定食を頼む人がいるが、理解できない。本マグロ、中トロ等の旨い刺身の盛り合わせをスーパーで買ってくれば、家でも贅沢できる。外食ではプロの料理人が手間暇をかけた、付加価値の高いメニューを選びたい。

 

選択に間違いはなかった。さすがプロ。大きな塊がデンと鎮座し、キャベツはトロトロに煮込まれている。キャベツの中の合い挽き肉を自分で一口大に切り、キャベツとソースを合わせ、絶妙の塩加減、油気のバターライスと一緒に口に入れる。キレイに平らげた。孤独のグルメの主人公ならなんと表現するのだろうか?唯一の失敗はロールキャベツのソースが最初のスープと同じ味だったことだ。

 

余談だが、キャベツが柔らかくてナイフで切る必要がないのは、日本の春キャベツだからだと思う。ヨーロッパの芽キャベツなんて、「芽」だから柔らかいのだろうと思ったら騙される。煮ても焼いても石のように固かった。細かく刻んで煮込んで酢漬けにしたザウワークラウトは、保存の意味もあるのだろうが、あの硬いキャベツを柔らかくする工夫ではないかと想像する。

 

こんなに美味しいのなら、お手頃価格のフルコースを選ぶべきだった、と後悔したが、ロールキャベツはコースメニューに入っていなかったので、この選択で良かったと言い聞かせた。テーブル脇には、デザートも全て自家製とあった。アイスクリームはバニラかマスカルポーネの2種類。バニラならハーゲンダッツや、新幹線の車内販売のスジャータでも十分美味しいので、マスカルポーネにした。これも濃厚で絶品だった。

 

腹ごしらえしたところで、福生の街に出る。レストランの女性が親切にアメリカっぽいところへの道順と、電車で来たのなら福生駅以外にも歩いて行けると教えてくれた。

 

多国籍の風情

タイ料理、ペルー料理、インドカレー等々多国籍のレストランには、外国人客の姿もちらほら。通行人にも基地の人かな?と思う人がいる。昼間なので、バー、ナイトクラブと思しき店は閉まっている。夜にはネオンが輝き、ちょっと猥雑な雰囲気になるのだろうか?

東京環状(国道)に突き当たると「U.S. AIR FORCE Yokota Air Base 横田基地」と大書されたゲートが現れた。バギーを押す女性がゲートからこちらに向かってくる。六本木の米国大使館員の宿舎とよく似た雰囲気だ。日本にあって日本でない。

横田基地から出てきたバギーを押す女性

 

国道沿いにあるアメリカっぽい店はもっぱら古着と雑貨。スニーカー、Tシャツ、ショートパンツ等、自分の好みではない品々なので、数軒ウインドー越しに眺めただけで都心に近い駅の方向に歩き始めた。

 

基地の外の福生の街に根を下した外国人が結構いる

幹線道路の国道は車の騒音や排気ガスの臭いで快適ではない。 一本中に入った「わらつけ街道」と呼ばれる道を歩く。レストランで見かけた外国人がいかにも米軍人とその家族らしかったのに、この街道ですれ違う外国人は米国から来たアフリカ系の人というよりも、フランス語を話すアフリカ系の人が目立つ。軍関係者なら髪を短く刈り込んでいるはずだが、そうではない。アフリカの民族衣装のようなものを着ている人もいた。自転車に乗っていて、福生の町で生活していると感じさせる。4-50代の普通の髪型の男性が、若いアジア系の女性と日本語で「学校は?」なんて話していて、不思議な感じがした。軍の人ではなさそう。

 

わらつけ街道は車の対面通行が可能なのだが、狭くて、日本人女性と思しき人の運転する軽自動車が通行人の私が通れなくなるほど道路の端によって来るので、のんびり散策という気分ではない。ところどころ、全く舗装されておらず、大きな水たまりができた砂利の私道っぽい道路が街道脇にある。昭和30年代!もっとも、5月に1時間以上かけて歩いた都心の神楽坂、飯田橋界隈も舗装されていない細い私道があちこちにあった。

 

牛浜駅を見過ごしてしまい、拝島駅を目指したので、結構な距離を歩くことになった。平成30年築の都営住宅が並んでおり、公開空地の「申請者 東京都知事 小池百合子」という掲示板が出ているが、外国人にすれ違ったのはこの都営住宅周辺が一番多かったような気がする。

 

拝島駅らしいものが数百メートル先に見えてきたが、道路やトンネルが交差しており、駅への近づき方がよくわからない。前方から歩いてきた女性に「拝島駅にはどのように行くのですか?」と聞く。多分フィリッピン人だと思われる女性は、日本語で、トンネルを抜け、ファミマや公園を目指していく、と親切に教えてくれた。基地の将校のメイドさんなのかなとも思ったが、東京のど真ん中の六本木で出会う、駐在員や大使館員の元ではたらくメイドさんたちはほとんど日本語を話さなかった。道を教えてくれた女性は日本人男性と結婚した人かも知れない。

 

拝島駅はJR青梅線八高線五日市線が合流する駅だ。首都圏は東海道線や中央線のような幹線以外に、JR南武線横須賀線等々鉄道網が広がっている。そんな東京の郊外で、日本での生活に腰を落ち着けた、基地の人とは思えない何人もの外国出身者に出あったのは、ちょっとした発見だった。こういうラッシュアワーを避けた、公共交通機関を使った小さな日帰り旅は楽しい。猛暑が始まる前にもっと行きたい。

 

辞めて欲しい、エスカレーターの一列並びと駆け下り、駆け上がり

もっとも通勤時間を避けた首都圏の公共交通機関の便利さを痛感しながらも、毎回うんざりすることもある。立川駅なんかは乗降客が多い。ストレスが溜まるのは、エスカレーターの1列並びとその横を駆け上がる人だ。

 

ひろゆきとかホリエモンのような有名人が、エスカレーターで一列に並ぶために長い行列を作っている日本人を「頭が悪い!」とツイッターで断罪していたのを思い出した。エスカレーターと階段が並んでいても、階段ではなくエスカレーターの右側を駆け下りたり駆け上がったりする人がいる。「エスカレーターは歩かず、二列に並んで立ち止まり、手すりを持って(コロナが流行ろうが流行るまいがさわりたくないが)」と放送している鉄道会社もたまにあるが、ほとんどの鉄道会社は「二列で静止」を徹底する気はなさそうだ。歩行者も面倒を起こしたくないから、根気よく左側(これが大阪になると右側になる)に並んでいる。歩きスマホしているからゆっくりでもいいのだろうが、本当に意味のない慣行だ。

2023年6月13日記