人生の第三コーナーの衣食住

ライフスタイルブログ:インテリア、家のメンテ、ソーイング、失敗続きのパン作りなどをつづっていきます

人生100年時代を楽しむ(2020.07.24作成)

今日は土曜日。18時からはテレビ朝日系で「人生の楽園」という30分番組がある。

 

たいていは退職後、田舎暮らしにあこがれて飲食、宿泊系の仕事をしている還暦を迎えた夫婦の話だ。田舎の生活に溶け込み、楽しんでいる様子が紹介される。

 

煩わしい人間関係のことには触れない。近所の人は皆「いい人」で都会から来た夫婦を暖かく迎えてくれる、という設定だ。田舎は、秋田県知事の「田舎は噂話しが多くて、若者が居つきにくい。特に若い女性にとっては」という懸念など全くない「楽園」なのだ?!

 

別に田舎の人だけが噂話が好きなわけではない。都会の高学歴の男性が、自身が正しいと思う「正義」を振り回し、ネットで誹謗中傷の片棒を担いでいる。同じく高学歴で時間もある女性が、メディアで取り上げられたいじめの首謀者を特定(間違っていることも多い)、さらし者にすることにやっきになっている。

 

都会、田舎とは関係なく、自分が住みやすいと思った場所で自分が居心地の良い生活をすればいいのだ。

私にとって「住みやすい」とは

  1. 交通の便がよく(新幹線や空港へのアクセス)
  2. 中上級のスーパーがあり(紀伊国屋成城石井はレジで袋詰めする人の人件費が上乗せされている。そこでしか買えないもの、例えば輸入食品だけを購入する。安いのが売りの店だと、その点だけにしか価値を見出さない客ばかりになる。同じ野菜でも中国産と国産の違いがあるし、国産でも農家が独自の付加価値を付けている品もある。選択肢は多い方がよい。)
  3. 静か(大通りから一歩入っている、私道奥なら交通量や犬の排泄物に悩まなくてもよい)

 

な場所だ。以上はハード面だが、人間関係というソフト面は厄介だ。まあ、普通の近隣関係を維持できる住民が最低2家族いれば、うわさ好きで身勝手、ガン細胞のように雰囲気を犯し、大量のゴミを配慮なく捨てる住民がいても、なんとか過ごしていける。

 

もともと一人が苦にならなかったが、コロナ前に比べ一人で過ごすことが更に多くなった

以前のエントリーに書いたように、ピアノをまた弾き始めたのだが、レッスンを受けていた頃と違い、自分のペースで、自分の好きな曲を少しずつ弾けるようになるのが楽しい。調子は外れているのかも知れないが、教師に「違う!」とピアノの端をバンとたたかれて、不愉快な思いをすることもない。こっちはもう大人なんだ。小学生が教わっているのではない。そういえば、大学受験も公務員試験の準備も基本的には独学だった。

 

以前住んでいた都心のマンションでは、住民用のジムで無料レッスンがあり、せっかくだからと参加することもあったが、ヨガで自分だけが片足での何分も自立ができなかったり、からだの硬さを思い知ったり、と健康のために参加しているのに、変に他人と比較などして居心地が悪くなるのも本末転倒とやめた。退職した高齢者が、市営や区営、あるいは費用安めの民間フィットネスクラブに通い、技量を競争している様子もつまらない。人生100年時代、自身の健康寿命にだけ目を向けていればいいので、他人と比較する必要はない

 

こんがりと形のいいバゲットも焼けるようになった。時間をかけて素敵なカーテンも作った。夏を前に100%麻のピロケースも作った。ファスナー付けは結構難しい。こうした「作品」を毎回インスタグラムに上げていけば、フォロワーや「いいね」も増えるのかも知れない。が、もう競争する必要はないのだ。承認欲求はないとは言わないが、こんなことで一喜一憂する歳でもない。徒然なるままに書いているこのブログを読んでくれている人がいれば、それだけで嬉しい。

 

近所に豪華な高齢者施設が完成した。他にもダイレクトメールで高齢者施設の案内が送られてくる。が、そんな施設に入って今更人間関係に煩わされたくない。人が集まれば、グループというか派閥というか、分断する集団ができるのだろう。

 

確か高樹のぶ子さんの小説で、ガンに侵されながら入院もせず痛みに耐えながら、できるだけ回りに迷惑をかけないように努めて息を引き取る女性がいた。体調不良を感じ、すでに準備していた身の回りの物をもって自らタクシーを呼び、一人で病院の受付で入院と支払いの手続きを済ませ、ベッドに横たわる前に絶命した女性のことを知人から聞いた。理想の最期だ。家の中もきれいに整え、エンディングノートも準備済みだったのだろう。

 

自分のペースや好みで生活を貫けるようになった今は、特にコロナであまり人と接触しなくなった、むしろ接触を避けることを奨励される今は、私には居心地がよい。まだまだ先の話ではないかもしれない。「これまでにないような集中豪雨」でいつ命を落とすかわからない。人に迷惑をかけず、きれいな最期を迎えるよう準備しなければ。(了)